日本遺産かさましこセミナー(民藝編)|「民藝運動以前と以降の益子焼」レポ

11月6日(日)つかもと迎賓館で、かさましこセミナー民藝編の講演が開かれました。
講師は、濱田友緒さんです。本記事では、そちらの様子をレポートします。

 

友緒さん曰く、コロナ以前は年に2回は行っていた講演も最近は全く機会がなく、久しぶりに人前で話す、とのことでした。大変興味深いお話で、ノートに必死でメモしました。

とは言っても、内容を赤裸々に記すわけにもいきませんので、かいつまんでお伝えします!

会場は、つかもと迎賓館でした。重厚感のある日本家屋。立派な門に土祭の幕が取り付けてありました。和の雰囲気や自然素材の幕(看板)が建物にマッチしています。

広々とした和室にすでにソーシャルディスタンス配慮済みの座布団が置いてあり、床に座って講義を受けるという私にとっては初めてのスタイルでした。

濱田庄司と民藝運動

友緒さんのおじいさんにあたる、濱田庄司の人生の流れを軸に、話が進められました。

『民藝』とは、庄司らが作った造語で、それまで『上手物(じょうてもの)』に対して『下手物(げてもの)』と呼ばれていた民衆の工芸品に、新たな価値やカテゴリーを設けようと、『民衆の工芸』を略して『民藝』としたのだそうです。

民衆の工芸品とは、これまでの益子焼ももちろん含まれます。
大塚啓三郎が笠間焼の流れを汲み、1853年に産声をあげた益子焼ですが、当時の益子は作家はおらず業者のみで、土瓶や日用品などの生産を主に行う場所だったそうです。

ここで紹介された’山水土瓶’。山水画が描かれている土瓶のことですが、私の中で、ウィンドウアートの取材で訪れた「山水の店みなかわ」で出合った皆川マスの山水土瓶が思い出され、ビビっと繋がりました。


(皆川マスの絵付けが施された山水土瓶。かさましこHPより。https://kasamashiko.style/point/detail/23/ )

少し山水土瓶のことについて触れています↓
http://hijisai.jp/blog/2021hijisai/public_relations_project/10893/ 

瀬戸の山水画は、長い距離と時間の伝承を経て曖昧なものに…

この山水土瓶に描かれた山水画。なんだかぼんやりとしたシンプルな絵に見えます。
実は、瀬戸焼に描かれたはっきりとした山水画が元になっているのだそうです。セミナーでは、画像を見せていただけましたが、益子の山水土瓶の絵よりもやや細部まで描かれた、同じような風景画です。人伝(ひとづたい)で、愛知県の瀬戸から、伝言ゲームのように情報が流れ、流れ、益子に辿り着いた山水画は、しゅっしゅっとよりシンブルに。それでいて線一本一本全てが味わい深いものとして完成されました。

京都で道をみつけ、英国で始まり、沖縄で学び、益子で育った

都会生まれの庄司が、陶芸家を志し、まず向かったのが京都の京都陶磁器試験場。
そして、バーナード・リーチとの出会いを経て、共にイギリスに渡ります。
ここで、田舎町での質の高い手仕事・丁寧な暮らしぶりに感銘を受けたことが、のちに益子に定住するきっかけとなったのだそうです。

沖縄でも窯業技術を極め、新垣窯という窯元で学んだとのこと。壺屋焼とも関連があるのでしょうか。訪ねてみたくなりました。

民藝陶器ではなく、オリジナルの作品を作っていた!

益子に来た庄司がまず学んだのは佐久間藤太郎窯。今も存在する窯元です。

民藝運動を展開していた庄司ですが、民藝は、初めにも書いたように、職人によって作られる暮らしに溶け込んだ工芸品。庄司はそういった工芸品を益子で作っていたのでしょうか。

いや、違います!

庄司自身は、自分のオリジナルの作品を作っていたとのこと。
濱田庄司が益子でしたことは、実は『作家を育てること』だったのです。

途中、混沌とした時代も経て、今では益子は『自由に作品を作ることができる町』として存在するようになりました。コツコツと庄司はその地盤を作り上げていたそうです。

かさましこ〜笠間との関わり

東日本大震災で建物の9割が被災した「益子参考館」(庄司が自分自身が参考にしたものを展示・公開した施設。多くの古民家が移築されているほか、登り窯がある)。地元益子の大勢の方の支援を受け、2013年に再開しました。助けてもらうことで、人との繋がりの大切さを再確認したそうです。
2015年には、一度潰れてしまって直したことで、大勢の作品をみんなで一緒に焼く『登り窯プロジェクト』を開始。この年には、益子の作家と中高生の作品、計100体を同時に焼きました。
2回目の2018年には、笠間の作家たちにも参加してもらい、かさましこで共に一つの志を持って1週間焼く、というとても意味のあるものになったということです。


[益子参考館内の登り窯]

 

益子焼の未来を垣間見る。

民衆の工芸。
現代における民衆の工芸はなんなのでしょう。考えるきっかけとなりました。

プロダクトデザインがその答えの1つかもしれません。

友緒さんが話してた、益子焼(濱田窯)とのファッションとのかかわりの話。
こんなこともできるのかぁ、という発想が益子焼の未来と繋がっていく気がしました。

具体的には、プロダクトデザイナーである、深澤直人さんがディレクターを務める、『BOTE&SUTTO』という器ブランドの話をしていました。イメージは、ぼてっとしているものとスッとしているもの。普段使いできるもの。このブランド名は、なんと友緒さんのアイデアだそうです!MUJIやIDEEで取り扱っている、とのことです。幅広い層へと益子焼がアピールできるきっかけとなりそうですね。

BOTE&SUTTO
https://www.idee-online.com/shop/features/119_bote_sutto.aspx

リーチポタリー100周年 行事のクライマックスが今月末に。

バーナード・リーチがセントアイヴスにイギリスで初めて、陶芸の施設『リーチポタリー』を作って2020年で100年。今や、西洋陶芸の聖地なのだそう。庄司は、イギリス滞在時、ここの日本式登り窯作りにも関わりました。強い絆で結ばれている2人。昨年100周年行事である『益子×セントアイヴス100年祭』を盛大に行う予定でしたが、コロナウイルスの影響でどんどん延期に。今年ようやく開催する運びとなり、クライマックスである『ましこ市2021』が11月27日(土)・28日(日)に行われます。

庄司が作り上げた、作家が作品を自由に作ることができる雰囲気が今でも受け継がれている益子。ゆかりのある作家や関わりのあるブランドが集結します。ご興味がある方は訪れてみてはいかがでしょうか。

ましこ市2021
https://mashiko-st-ives100.com/article/events/202.html 

※本イベントは終了しました。

 

(土祭レポーター 橋口奈津子)

 

 

 

 

 

 

 

 

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