参加レポート|風景社セッション第2回 「反近代をどり」の考証―パンクから野良着、山伏まで―

8月7日に益子町の地域コミュニティ・ヒジノワcafe& spaceで行われたトークセッションに参加した。講師は栃木市西方にお住まいの飯田団紅(だんこう)さん。和楽器の演奏集団「切腹ピストルズ」またの名を「江戸一番隊」の総隊長で、当日は何やら江戸時代から抜け出してきたような出で立ちで、藍色の半纏をまとい、手ぬぐいを頭に巻いていた。

私たち参加者の目の前のテーブルの上には、たくさんの古い着物のようなものが置いてあり、その後ろには古い履き物もずらっと並んでいた。

いったいこれから何を始めようとしているの? “反近代をどり”って? みんなの好奇心と期待の膨らむ中で、講師の飯田団紅さんは深く落ち着いた声で語り始めた。

飯田さんの詳しい紹介はこちらです。

http://hijisai.jp/program/k-04-2/

5分後の電気は無いー無くてもいいものでー

飯田さんは若い頃に海外のパンクに出会って、俗に言う『カルチャー』というものに飛びついたという。「何で日本にはこういう面白いものがないのかと思っていた」と話してくれた。パンクバンドで演奏活動を続けながら、次第に、日本の古いものにも興味を持つようになった。

そして、2011年に東日本大震災が起り、停電を経験する。

「当たり前のように電気が5分後もあるという前提でいるけれど、ライブ中に停電になったらエレキの楽器は音が出せないと気付いた。だったら電気を使わない楽器を使えばいいんじゃないか。それは電気のない時代の古くから存在する楽器なんじゃないか」と飯田さんは考えたそう。

そして原発事故によって大量にまき散らされた放射能。汚染された大地。

飯田さんは、古来から、人は作物が無事に育つように、土の中の良くないもの、縁起の良くないものに太鼓をドンドン鳴らして、お祓いをしてきたと考え、大地を太鼓の音で除染しようと思いに至った。

その数ヶ月後、福島の原発を目指して仲間4人と練り歩き、可能な限り原発事故の近くで太鼓、鐘、三味線を鳴らして大地の除染をする。原発事故をきっかけに、太鼓、笛、尺八、鉦、三味線という和楽器のバンドに『進化』したのだそう。

大切なものは、捨てられてきた中に

飯田さんのいう古い良いものとは、現代、近代を飛び越えて前近代というのか、明治維新前の、まだ人びとの自由な個性が抑圧されていない暮らしにあるらしい。

盆踊りだって明治前は、現代のように決まった歌に合わせてみんなで同じに踊るスタイルではなくて、歌も踊りも自由で男性が女装したり、女性が男装したりと何をやっても良い日となっていたらしい。

どんなお祭りだっただろう。

踊り方が分からないと踊れない踊りではない、自分を解放する踊り。

そんな今からは想像できないほど自由な盆踊りも野蛮だと禁止されたのだという。

国の偉い人たちは、近代という時代を作っていく上で、昔から続いてきた人びとの暮らしに寄り添った生き方、知恵を否定し、排除してきたという。

飯田さんは、「その捨てられてきたものの中に大切なものがある。必要なものや新しく取り入れるべきものは、誰かが決めたものではなく、今生きている人たちが冷静に選び始めないといけない」と話してくれた。

私たちの選ぶものが風景の一部に

飯田さんと古い良いものとの出会いは、一本の古いズボンから始まる。

「何だこれ!かっこいいな。」

ズボンは西洋のものだと思っていたから日本にもあったのかと衝撃を受けたという。

そこから昔のお百姓さんやが着ていた野良着の素晴らしさに引き込まれていったそうだ。

野良着の定義は「生活、遊び、仕事、山や海、川の中、田んぼ、畑、村、町、道があろうがなかろうが、獣道だろうが、昔から引き継いで、直したり、作ったりするし、これからも使って行こうとする、自由自在に過去と未来を行ったり来たり出来る日本の普段着」だそう。

実際に、セッション終了後にテーブルの上に置いてある野良着を手に取らせて貰うと、一見ぼろぼろに見えるけれど、継いで継いで厚みがあったり、色、柄合わせの妙、手縫いの確かさから、圧倒的な存在感、知ることもない誰かが紡いで織った布から作り出したという証のような温もり、重みなどを感じた。

飯田さんは「人びとの暮らしが風景の一部を作っているとしたら、その暮らし方、生き方を考える時に、何を選ぶか。暮らしの基本的な衣食住の部分で何を着るか。そしてそれに合うものは何かという選択から決めていったらいいんじゃないか。そこから広がっていく暮らしが、風景に溶け込んでいって、世の中が変わっていけばいいと考えている」と話した。

探しているものはホラ貝かも

飯田さんは「世界にはさまざまな問題が起きていて、世の中のことを少しでも良くしたいと考えていても、日々の暮らしで忙しい人や生きることに精一杯な人も多くいるはずだと思う。そんな人たちや小さな子や老若男女も同時に、これさえあれば、守っていれば、なんとかなるというシステム、仕組み、またはおまじないでもいいから、何かないだろうかと探している」と話してくれた。

そんな中である日、山伏に会い修験道について話を聞いたそう。

「山伏の吹くホラ貝の音は世界で稀に見るすべての音の波長を持っている。

世の中のものすべては宇宙が出来た時にばらまかれた素粒子の組み合わせで出来ているので、同じ素粒子で出来た岩山に反響させると、共鳴してその時の記憶を呼び覚ますのだ」という話を飯田さんは教えてくれた。

後日、今回のトークセッションをオンデマンドで視聴した短大生の息子にも感想を聞いたところ、「素粒子の話で高校の時の物理の先生から聞いた『超弦理論』を思い出した。この理論は『超ひも理論』と言われていて、素粒子はひも状のものであるという理論で、全てのことを一つの式で計算出来るという事から、世界はつながっていると感じた。飯田さんが話す『これさえあれば何とかなるというおまじないのようなもの』もあるかもしれない」と思ったそうだ。

私は、ホラ貝の音の、そのリセットというか調律のような効力が私たちに良い効果をもたらしてくれるのではないか、ホラ貝で世界を救うことが出来るんじゃないかと考えた。まずは、ホラ貝の音を生で聞いてみたい。

左から、ゲストの飯田団紅さん、コメンテーターの杉本聡子さん、ホストの風景社・廣瀬俊介さん

でも、やっちゃうの

セッションの第2部は、コメンテーターを務められた、宇都宮市の杉本聡子さんの質問がさらに飯田さんの話を深く掘り下げていった。

杉本さんは、日本の近代化は、西洋の文化の方が上であるとして、古来からの日本の文化を否定し、人間、アート、暮らしぶりも切り捨てて、西洋化、上昇志向を続けてきているが、そろそろスローダウンして全ての個人が尊重される世の中になる時ではないかと考えていた。杉本さんは、そんな時に切腹ピストルズの音楽に出会い、本物だと感じた。「理由も分からないけれどワクワクした」そうだ。

飯田さんの、「捨てられてきたものの中に大切なものがあって、それを見直そう。このままではどこに行ってしまうのか分からない。一人一人が立ち止まって考える時だ」という考えにとても共感したと、話してくれた。

また、「世代間のギャップを超える力として、彼らの演奏はどの年代の人にも響かせる事が出来る一つの音だろう。その音がこれからの事を考えるきっかけになるかもしれない」とも杉本さんは話していた。

杉本さんが飯田さんに、その音、和楽器との出会いを尋ねると、飯田さんは「初めて阿波踊りを見た時に楽器本来の音のすごさと演奏している姿に衝撃を受けた。今までは、和楽器はプロの人が演奏する純粋芸術やお祭りで演奏される保存会や一部の人のものと思っていたが、阿波踊りはやっている人と見ている人との線引きがあやふやで、誰でも踊っていいし、境界線がないように感じられた」と話してくれた。

私は明治前の盆踊りもこうだったんじゃないだろうかと想像する。

杉本さんは飯田さんの『でも、やっちゃうの』という言葉がとても印象的だという。

「飯田さんが一度も触ったことがないのに始めてしまう。誰に習ったわけでもないし、修行を積んだわけでもないけれど、素人なのにやってしまうのは、すごい事だ」と話す。

私は、『でも、やっちゃうの』はパンクと同じかもしれないと感じた。

その熱量が切腹ピストルズの音となって、聴いた人に伝わって、その人も「やっちゃうの」と何かを変える行動を起こし、世の中が動いていくのだろうと思った。

あっという間のトークセッション、次から次へと考えや思いを話して頂いたが、きっと語り尽くせなかったであろう、飯田さんの止らない思考をずっと聴いて、その先の答えを知りたかった。

パンク、野良着、和楽器そしてホラ貝までの長くて深いお話は、私にとっても、これからの暮らしや生き方を考えるきっかけになった、心に響く内容だった。

今回のトークセッションのテーマの「反近代をどり」は切腹ピストルズの曲だそう。私も考証しよう、と後日、YouTubeで聴いてみた。メンバーの出で立ちも近代以前のようで、鐘の音、太鼓の音、歌というか声が腹の底に響くような音楽だ。

いつの日か本物を味わってみたいと強く思った。

土祭2021レポーター 横溝夕子  写真 簑田理香(風景社)

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