「益子の原土を継ぐ」陶芸家 若杉 集さん

益子で採れる原土を用いて陶芸家・染織家・日本画家・左官、24名の作家たちが、
新しい表現に挑戦しています。
益子の原土「北郷谷黄土」「新福寺桜土」「大津沢ボクリ土」の3種類を使用し制作。
作品は、土祭期間中、展示会場のひとつとなる、陶芸メッセ内 旧濱田邸で、展示します。
24名の作家の、作品への想いを紹介します。

陶芸家 若杉集さんの、作品への想いを紹介します。 

若杉集

若杉さんの細工場は、北益子地区にあります。
樹木に囲まれた自宅と細工場。
「この木は、エノキと言います。
このエノキに、オオムラサキという日本の国蝶が来るのですよ。
木をたくさん植えて、森のようなところで暮らしたいと思っていました。
夏は、葉っぱが伸びて、すごいですけど。」
若杉さんは、窯元で修行されたのち、1977年にこの場所に、窯を築きました。
現在は、原土を採掘するところからはじまり、水簸をし時間をかけて粘土にして、
急須をメインに作陶していらっしゃいます。

ご自宅は、自然の素材を使用しとても心地よく、
若杉さんが作られたオブジェが、壁などに飾られてありました。
まず、今回の「益子の原土を継ぐ」このプロジェクトについて、
若杉さんは説明してくださいました。
「私は2012年2回目の土祭の時に、益子の原土を使って、
私を含めて3人で展示したことがありました。
他の2人の作家に、原土を提供して、同じ土から何ができるか、
それぞれ表現して展示してみようと思ったのです。
私は、急須と原土そのものを展示しました。
見てくださった方に触ってもらいたいなと思って、原土を置いたのです。
3人それぞれの作品と、同じ土から違った表現をするということが評判良く、面白かった。
2回目の土祭の時、他の作家さんから、参加したかったという声がありました。
それで今回の3回目の土祭でも、原土を使って、作家それぞれの表現をやってみようと思いました。
益子に原土会というのがあり、代表の大塚一弘さんとまず話をしたのです。
大塚さんは、面白いと賛同してくれ、今回、展示する参加者のうち、 半分が原土会のメンバーで、
もう半分は、私が声をかけ、集まった作家です。
自分の仕事から離れて、制約なしで、何やってもいいことにしたのですね。
自由すぎて困ることがありますが・・・」
若杉さんはふふっと笑いましたが、すぐ真剣な表情に戻り話を続けます。

「焼く人達が、焼かないことを考えるというのは、他の作家の刺激になる。
いろんな業種の人達が、接触する機会がないと、次の益子が生れてこないと思っています。」

 

若杉集

 

土祭の作品について伺いました。
「モノを大きくしたい、泥団子を大きくしたいという希望がありました。
大きいモノは、中を空洞にしないと、割れてしまいます。
なので、アフリカ方式という、型に粘土を張り付けていって、
何種類かの大きな真球を作る作業をしています。
直径2、30センチあるのをいくつか。 表面を磨かないで、原土を見せたいのと、
泥団子のように磨いてツルツルさせた玉も作りたいし、
できたら、焼いてもみたいなと思っています。」

何故、真球なのか。
「昔から考えていたことがあります。 研ぎ澄まされた刃物って、ものすごく美しく触りたくなる。
その鋭い刃物、刃先の反対って、丸いモノかなと思ったのです。
さらに真ん丸を極めると、刃物のような鋭さがでるんじゃないかって。
そういうイメージがずっとあり、なるべく真ん丸の真球を作ってみたい。
1番柔らかいモノを作って、鋭い表現ができれば。 カタチとして1番やさしいのは丸。
鋭い丸が出来るかどうか、粘土で真球を作ってみようと思いました。
この真球作りは、ある目標があってそれに向かうのではなく、 反対に遠回りしてみる。
すると思いがけず目標に近づいている、そんな感じ。
私自身、そう生きたいという想いもあります。」

緑がまぶしく、生命力を感じる庭を隣に感じながら、
「この真球の他に、もう1種類作っています。 大学時代、工学部の造形の講座にいました。
その時の先生が、漆を何層も、何層も塗り重ねて厚みを出し、 彫って作品を作っていました。
本当の工芸、芸術的な仕事を目の当たりにしました。
ああいう仕事を、してみたいという想いがあったのです。
粘土だと繊細なことはできないが、原土3種類の粘土を薄く延ばし、
何層にも貼り合わせ、大きな板にしてみました。
収縮率が違うので反ったり、はがれたりするので、
プレスをかけて、 1ヶ月以上かけて乾燥させました。
厚さは10センチぐらいで、ろくろで削ったり、切ったりして、 蓋物を作っています。
ほとんど削り出すので、3種類の土によるグラデーションがでます。
真球と、蓋物、この2つを作っているところです。」  

若杉集

細工場へ案内していただきました。 若杉さんが採掘してきた原土の袋が、いくつもありました。
 「これが桜土ですよ。」
このゴツゴツとした原土を掘る、そして粘土にするまでを想像すると、
かなりの時間を要することでしょう。
それ以前に、原土を探すのに、どれだけ益子を歩いたことか。

細工場には、焼成を待つ急須が並んでありました。
益子の土で急須はムリと、他の陶芸家の方がおしゃっていましたが、
若杉さんはそれを覆した、素晴らしい!という話を聞いたことがあります。
努力に努力を重ね、益子の原土で、焼き締めの急須が完成したと。
原土を掘ってきた袋の多さが、若杉さんの探求心や、
研究熱心なことを物語っていました。

「第1回目の土祭から参加して、その時、左官の榎本新吉さんに巡り合いました。
私は東京で榎本さんにお会いしました。
カリスマ左官職人だから、いろんな人が会いに来ててね。
榎本さんに、突然、木ぶし粘土使っているんだろ?特徴を言ってみなと言われてね。
冷や汗をかきながら、一生懸命説明したの。
そしたら、榎本さんが周りの人達に、粘土を作ったことがある人だから、
ああいうことがわかるんだって言ってもらえたんだ。
その出会いで、榎本さんをはじめとする左官屋さんが、益子の土を使っていることを知ったのです。
いろんな工夫をして、壁に塗ったりしている。
焼き物屋は、益子の土は焼き物の土だと思い込んでるけど、
左官屋さんだって益子の土を使って立派な仕事をしている事が分かりカルチャーショックだった。」

一呼吸おいて、
「焼き物屋も、左官に負けないような仕事をしなくっちゃダメだし、
益子の土はいろんな人が使うということを、前提に使っていかなくてはいけない。
2回目の土祭では、原土で3人それぞれの表現して、
3回目はもっとたくさんの、業種が違う作家にも入ってもらった。
皆の気持ちを広げて、視野も広げて、展開していきたい。
益子の土を使うのはベースとして、 皆で土を理解し合うというプロジェクトだと思っています。
焼き物屋、負けるな!という気持ちだし、他の業種の作家も頑張れ!と思う。
民芸益子焼と言っても、100%益子の土とは限らないし・・・。
益子は自由だよね。でもね、 足元をたどって、益子の土の魅力を知って、
もう1回、新しいことを展開していく。
新しい益子を作っていきたい。 これが、私にとっての土祭。」 
そう若杉さんは、言葉を締めくくりました。

若杉集

若杉さんから後日、メールをいただきました。
庭のエノキの木に、オオムラサキのメスが、卵を産みに来ましたと。
若杉さんの庭から羽化したオオムラサキは、
今、益子のどこを飛んでいるのでしょうか。

 (土祭広報チーム 仲野 沙登美)

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