「益子の原土を継ぐ」陶芸家 中村 かりんさん

益子で採れる原土を用いて陶芸家・染織家・日本画家・左官、24名の作家たちが、
新しい表現に挑戦しています。
益子の原土「北郷谷黄土」「新福寺桜土」「大津沢ボクリ土」の3種類を使用し制作。
作品は、土祭期間中、展示会場のひとつとなる、陶芸メッセ内 旧濱田邸で、展示します。
24名の作家の、作品への想いを紹介します。

陶芸家 中村 かりんさんの、作品への想いを紹介します。

益子の原土を継ぐ 中村かりんさん

「上三川町出身で、23歳ぐらいの時に、陶芸をやりたいなと思い始めました。
会社員として働いていましたが、25歳の時に益子に来て、窯業指導所で学んだり、
陶芸家さんのバイトなどをして、2年間学びました。」

中村さんの細工場は七井地区にあり、以前も陶芸家が借りて作陶していた場所。
中村さんは、窯業指導所1年目は、基本的なろくろの技術を学び、
2年目は伝習生として、釉薬の方を勉強したそうです。
釉薬の勉強をした証、テストピースの三角座標が何枚もありました。
少しの配合の違いで、様々な色の表現ができます。

益子の原土を継ぐ 中村かりんさん

「土祭の作品は、北郷谷の原土の白土を、人の上半身に使用してろくろでひきました。
上半身は白土、ドレスの部分は、原土をたたらにして、パーツを作ります。
私は人が作りたかったのです。原土を見せたい。
細かいパーツを作って、つなげようと思いました。」

原土を叩いたと思われる金づちやふるい。
細かく砕く作業は、骨が折れたことでしょう。

「私は、いつもは原土は使っていません。でも、窯業指導所で学んでいた時に、
陶芸家の若杉集さんと原土掘りに行ったことがあります。
水簸して、150メッシュで濾して、粘土を作りました。6年前のことでしょうか。
その粘土を放置してあって、今回のテーマに合うなと思って、取り出しました。
3種類の原土は水簸しないで、叩いて細かくして、水を入れて練りました。
成形できたので、たたら作りをしてドレスのパーツと思って焼きました。
たたら作りというのは、粘土を板状にし、これを箱型や筒状にしたり、
型に押し当てたりして形を作る技法です。ひとつ、ひとつの仕事が面白かったです。
当たり前に粘土を買っていたので、自分で粘土を作るということは新鮮でした。
初めて菊練り(粘土を練り空気を出すこと)できた時や、
芯出し(ろくろに粘土を置き、ろくろの中心に据える作業)できた時のような感動がありました。」

個展が終わったばかりの細工場に、少しだけ作品が残っていました。
傷が入ってしまった作品なので、手元に残したそうです。
女性らしいやわらかな釉薬の色彩、細やかな作業、見る人を和ませるデザイン。
伝習生として釉薬を学んだことが、作品に生きています。

益子の原土を継ぐ 中村かりんさん

「第1回目の土祭は、窯業指導所の研究生でした。
第2回目の時は、独立していて陶芸の仕事をしていて、今回の第3回目は作家としての参加。
現在、独立して6年目となりましたが、最初は、回りが見えないような感じでした。
とりあえず作ろう、作らなくっちゃと、余裕がなさすぎて、
いろんなことが見られなかったというか・・・
独立して5年が経った時、もっと益子のことと向き合いたいと思いました。
自分が益子にいる理由とはと思った時、若杉集さんから、今回の原土を使っての作品作りの
話をいただき、自分の中でこうしていきたいという気持ちが固まっていきました。
自分ができることで、背伸びをしないで、自分が成長できたらいいなと思っています。
まだまだ駆け出しで、これからという感じですが。」

中村さんの作品には、人柄がとてもよく表れているように感じます。
女性らしく丸くて、ふっくらしていて、細やかで、人を和ませる力。
中村さんの作品を見た時、心がふっと穏やかになる瞬間がありました。

益子の原土を継ぐ 中村かりんさん

歴史ある旧濱田邸に「益子の原土を継ぐ」24名の作家、そして作品。
秋風が吹く中、益子の原土から生まれた作品たちを、
あの場所で、出会っていただけたら・・・
見た人の心に「継ぐ」
益子の原土を通して、これからも、皆様とつながっていくことを、
とても楽しみにしております。

(土祭広報チーム  仲野 沙登美)

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