試論「益子の風土形成のこれからについて」-ディレクターより、お礼のご挨拶にかえて

昨年末まで土祭2015風土形成ディレクターをつとめておりました、廣瀬です。 今回、このブログへの投稿の機会をいただきました。

私の仕事は、「益子の風土・風景を読み解くプロジェクト」を通して、当地にお住まいの方々と「この土地に生きることの祭り」の「この土地」の理解を、風土の調査を中心に進めてゆくこと、そしてその上に「祭り」、土祭2015を構想いただくことでした。

私は、環境デザインを研究、実践する者です。それを地域の風土に則して行うことが、近代米・欧で確立された環境デザインの日本的受容、応用としてふさわしいと考えるようになり、生態学、地理学、社会学、民俗学、歴史学、宗教学、哲学などを合わせて風土とはなにかを考え、地域の風土を調べる方法を模索してきました。土祭2015では、その技術の提供を求められ、かえって益子をよく知るたくさんの方々に教えていただきながら、自身の風土理解が進んだように思っています。

そうした私なりに、土祭2015への参加をふまえて「益子の風土に今も残るよい面はこう引き継ぎ、失われつつあるよい面はこう回復を図り、それらの可能性をこう引き出してゆくとよいのではないか」といった考えが少しずつ浮かんできました。それを報告書のあとがきにかえて、益子の方々へお伝えしたいと論考を試みています。

このウェブサイトの「益子の風土・風景を読み解く」ページ上で、「益子の風土・風景を読み解くプロジェクト」報告書はすべてご覧いただけます。しかしながら、ブログ読者のみなさまへのごあいさつの意味も込めて、報告書終章に含めた拙稿「試論『益子の風土形成のこれからについて』-あとがきにかえて」を、ここに掲載させていただきたいと思います。

風土と環境デザインにかかわる研究者兼技術者の冥利につきる、またとない機会を与えていただき、みなさまと土祭で、あるいはこのウェブサイト、ブログを通して心の交遊ができましたことに心から感謝いたします。

ありがとうございました。

 益子の風土形成のこれからは、本書第3章に示す課題の研究をはじめ、「益子の風土・風景を読み解くプロジェクト」ひいては土祭を続けながら考えてゆけるでしょう。しかしながら、今回の風土研究を通して筆者が得た発想もあります。それを試みに記してみます。

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図1 小貝川は益子から八溝山地を抜けて関東平野へ (真岡市の側から益子町を見る) 、『土祭読本』3頁

 

 益子の風土は、関東平野と八溝山地が出会うこの土地で、農業と窯業をなりわいの中心として人々が町を成り立たせながら、かたちづくられてきました (図1) 。そして、江戸に幕府が置かれて以来、400年あまりにわたって首都の郊外縁辺にこの土地が位置することも手伝い、益子の風土は今に引き継がれ、それがあって人々に好んで訪れられ、移り住まれるなどしていると見なせます。これらのことどもが「環(わ)」をなしながら、益子の風土は形成されてきました。

 濱田庄司は、それを体現していたといえます。益子焼がはじめられていたほかに、その位置や人々の暮らし方があって生まれる風土に惹かれて益子に住み、民衆的工芸に学びつつ、土と火のほかに芦沼石の粉や雑木の灰や稲の籾殻の灰そのほかを駆使して新しい技術を工夫し、益子焼きを前進させます。雑木や籾殻は、農業と関係して手に入れ続けられるものです。上に「環」とあらわしたのは、このようにことやものが巡っているがゆえです。濱田の工芸村構想には、土地の自然物を循環利用しながら文化を深耕し暮らしを立てる、人々の「環」を束ねあわせるように関係づけて、多少のほころびが生じてもすぐに誰かがそれを縫いとめることができる可能性が含まれていたと、筆者には思われます。

 そして、濱田庄司の実践においてさまざまな自然物や農作物があつかわれたように、まわりに山があり、山からは川が流れ、田畑があり、町があって、だから山仕事があり、川の水を人々がさまざまにつかい、田畑の仕事があり、町で商いが行われるなどして、工芸村も成り立ちます。そのことで、道具や衣類をつくる手仕事という仕事もまた町に生まれ、町に暮らす人々は道具や衣類を身近に得られることになります。食べ物や燃料ともども、暮らしに要るものが身近に自給できることになり、灰や余った食べ物などは、ことやものが巡るなかに還されます。こうした自然と人間のかかわりの「環」は、今日、地球規模でめざされている持続社会の必須条件でもあります。「工芸村」は、その地域的な目標像として、今日的に評価できます。

 「やわらかい風景」という一文を、筆者は『土祭という旅へ』へ寄せています。なだらかな地形変化やそれを覆う雑木、ふだんはゆるゆると流れる川や水路の水、暮らしに関係して山や丘のすそから引き下ろされたかのような木々に家々が見え隠れするさまなどを指して、筆者は益子の風景を「やわらかい」と形容してみています。それを、今もう一度考えてみると、人々の暮らしや、それぞれのなりわいにおける創意のあと、考えたことや考えて体を動かしたあとが風景から感じとれるようなところが、風景に「人間性」がそなわって見えることにつながり、そのこともあって「やわらかい風景」があらわれていると思えてきます (図2)。

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図2 益子の「やわらかい風景」、その一例 (道祖土にて描く) 、『土祭2015公式ガイドブック』40-41頁

 

 ただし、益子の風景にそなわる「人間性」は、人々が当地で生きる条件でもある自然に基本的に則しつつ、時には濱田のように先鋭的に接しもしてきた、人間による自然へのさまざまな応答の結果と見なすことができます。このような自然への人間のはたらきかけがあって風土が形成され、その姿である風景は益子の地なりの「人間化」を遂げてきたといえます。それは、たとえば南東に「水晶」の頂を持つ低山の群を擁し、ひときわ高い雨巻山がその名の通り雲をとどまらせるなどしながら梅雨の少雨をみちびき、とりわけ稲作をむずかしくし、一方で山々の頂からはこばれるケイ素は稲を強くして、稲の籾殻灰が窯業にも次の年の農業にもつかえ、といった自然と人間との関係があっての「人間化」です。

 こうした益子の風景、風土にそなわる「人間性」は、益子の風土形成の内実と目せます。したがって、益子風景、風土の「人間性」の理解が、益子の風土形成のこれから、すなわち風土に学びながら地の理(ことわり)を生かした持続する地域社会の構築をめざしてゆくことの必須条件と考えられます。そして、風土を形成する主体は町に暮らす人々であり、人々の結びつきと自然との「環」が、風土を先代から引き継ぎ次代へ受け渡す原動力のようにはたらいてきました。だから、「益子の風土・風景を読み解くプロジェクト」でおこなわれてきた、聞き取りやつどいを介した町民共同の風土研究がつづけられ、その成果をもとに町として益子がめざす市民共同の地域経営の目標像 (図3) が見さだめられ、その実現に向けた方針が立てられ、それらにもとづく事業計画が、地域行政、企業活動、市民活動の別を問わずつくられ実行される必要があります。この土地で生きる知を受け渡す教育にも、結びつけられるべきと考えます。

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図3 古川町 (現岐阜県飛騨市) における第五次総合計画目標「朝霧たつ都」とこれにもとづく農村環境デザイン政策を紹介したドイツ、エッセン大学環境デザイン学科講演ポスター、2003年。講演は筆者による。「朝霧たつ都」は、当地の高校地学部が研究を20年継続するなど町民に身近な朝霧 (盆地霧) の発生を指標に町域の良好な水循環をたもち、自然と雅びな飛騨の町並みや農村の風景の共存を、次代、未来に継承されるべき風土の理想像とし、地域経営の資本と位置づけたもの。

 

 なお、風土研究からわかったことをもとに地域経営の目標像を実現するための、かたちのない仕組みやかたちのある建物などをつくる技術を、日本の多くの技術者が持ちあわせていないことを、念頭におく必要もあります。彼らに確たる地域研究がおこなえず、それだけの成果にもとづく計画をした経験がないことが理由の一つといえます。また、思考の技術が未発達で、即物的で安易な課題解決策しか立てられない例が多いことを問題視しています。たとえば、建物をたてるのに山のかたちや城郭のかたちを模したり、どのような生活知の結果として古くから残る家屋のかたちや色や材料がそう選ばれたかを自然科学的にも人文科学的にも理解できずに写すようなことは、地域的デザインといえません。あるいは、地域研究の成果を十分に共有せずに利害関係者間の合意形成を図っても、それが当地の自然や文化に照らして合理的といえるものになるかどうかは、偶然にゆだねることにしかなりません。同様に、かたちの有無を問わず、ほかの土地でうまくいったからとなにかをまねるだけまねたとして、成功は偶然の産物でしかないでしょう。さらに、そのように「地域的に」検討した結果がつまらないものにしかならないからと、前衛風に新しいなにかを発想しようとしても、自然と人間の歴史を参照しないそれは、個人の恣意的で貧弱な思いつきにしかならないのではないかと想像されます。

 益子の風土形成のこれからにおいて懸念される問題も、示しておきます。少雨と地質・地形に由来する、水資源の利用管理面に、筆者は不安を覚えます。小貝川をのぞいて、益子を流れる川は水源を町域に有し、水を集める範囲は限られます。南東の山々の頂を「水晶」とあらわしましたが、水晶と同じ二酸化ケイ素からなるチャート層のほかは主に砂岩と泥岩からなり、その裂け目に水がしみやすく、これらの岩を覆う木々の葉が落ちて分解された腐葉土の層、表土に水が薄い膜のようにつたわりながら丘や低地へとくだり、斜面の途中や下にしみだしたものを、人々はため池やてびに受けて、大切にもちいてきました (図4) 。ことに七井では、七つの井(水の湧くところ)が地名とされているほどです (図5) 。

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図4 棚田のあとにつくった畑の地表に浮きでたしぼり水 (田野) 、『土祭2015公式ガイドブック』48頁

 

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図5 七つの井のひとつ「瀧の井」 (七井) 、同書 49頁

 

 このように、山や丘の保水力にたよることが、益子の水利用の基本となります。そして、益子の山や丘の、鎮守の杜のようにほとんど人手を入れずに守られてきたところはそのまま守り、人の手が入れられたところは木々の利用を図りながらすこやかに保ついとなみが求められます。「工芸村」のような考え方は、このことにも適しています。

 一方、ため池やてびに受けられたしぼり水は、水路や川へ流されながらこれらの岸や底から地中へしみ、低地の地下水をやしなってきました。地下水は、井戸水として利用もされました。ところが、全体に「やわらかい風景」をかたちづくって見える益子でも、川や水路の岸や底は多くがコンクリートをつかってかためられ、地中への自然な水の動きがはばまれています (図6) 。また、そうした川や水路は植物や微生物が育つ環境になく、水の生物浄化がおこなわれない状態にあります。それとともに、乏しい水の水質は、生活雑排水や産業排水の川への混入によってあまりよくありません。

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図6 道祖土川では、泥岩の河床はそのままに、護岸をコンクリートでかためている (道祖土) 。同書 42頁

 

 仮に、この問題の解決を図ってゆくとします。土祭への公共投資の一環として「益子の風土・風景を読み解くプロジェクト」が実行され、その成果として益子の風土性が明らかにされてきています。ひとつには、益子の風土は、当地の自然と人間の関係史の結果として「やわらかい風景」を擁するにいたっています。そのような土地と風景の印象は、土祭の来訪者の声などを確かめた結果からもわかる通り、魅力要素となっています。しかし、川や水路などの水辺は、上に述べたように益子風景の弱点であると思います。そして、その水質も問題であり、さらには水資源利用管理の脆弱性がより大きな問題として根本に横たわっています。

 これらの解決を図るために、生活雑排水や産業排水の混入を防ぐ努力を、これまでにも増しておこないます。山や丘の保水力を高めるために、人手のかけられた樹林の利用管理を徹底します。いずれの施策も個別には実現がむずかしく、風土に根ざした益子の地域経営の目標像があらかじめ町民と検討、合意されているとともに、「工芸村」のような文化と産業をともに振興し雇用も生む具体的方針が、その下に位置づけられている必要があります。

 それらが実現できたとして、水がかがやき、山や丘はすこやかに見えるようになるでしょう。「やわらかい風景」もまた、かがやきを増して見えるようになることと思います。さて、それでも川や水路の岸や底をつくりかえねば、植物や微生物が育つ、生物浄化の期待できる環境にはなりません。これは、ため池などにも同じくいえることです。解決策は、すでに益子の各所に見あたります。身近に得られる石を積んだ護岸が残る水路 (図7) や家の庭の池がありますし、聞き取りでは山のそだを編んで柵をつくることを益子でもしたとうかがっています。石垣は木の根などにおされて崩れることもあり、そだ編柵 (図8) はそだをときどき取りかえる必要があります。そうした日常の補修や管理が、公益性の高い雇用に結びつけられます。そだの交換は、人手の入れられた山や丘の木々をつかい、山や丘の保水力を維持する仕事にもなります (図9) 。

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図7 芦沼石を積んで護岸をもうけたと見られる水路 (大沢)

 

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図8 そだ編柵を護岸にもちいた割石川 (新潟県新発田市)

 

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図9 そだを採るために管理される山林 (新潟県新発田市)

 

 ため池もてびのある田も、川も水路も、七つの井も、さらには生物がどれだけもどってくるか試験観察がつづけられる蟹澤の井の下の休耕田なども、いってみれば「益子の水辺」です。これらが上に例を挙げたような自然に近しい、そして伝統の継承にもあたる工法をもちいてつくりかえられると、植物や微生物が育ち生物浄化が期待できる以上に、およそどの地区の「風土・風景を読み解くつどい」でも集まられた方々がなつかしげに子どものころの思い出話をされていた魚や水生昆虫などがふたたび棲める環境が回復できます (図10) 。

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図10 近代的な水路然とした百目鬼川の現状 (「百目鬼川をきれいにする会」活動より。2014/07/06 城内・道祖土)

 

 このように生き生きとした水辺が「やわらかい風景」にくわわることは、益子の次代をになう子どもたちが育つにも、大人たちが折々に昔をなつかしむにも、益子や土祭が好きで訪れられる方々が散策をされるにも向くと考えられます (図11) 。あるいは、益子の外から子どもたちが訪れて滞在し、遊び、学ぶにも向くのではないでしょうか (図12) 。そう考えれば、こうした環境の再生は地域経営における、いわゆる「外貨獲得」にも結びつけてゆけます。そして、もとはといえばこの発想は、水資源の利用管理に対する不安要因の解消を目的として得たものです。益子の風土と人に「環」を見いだしたことから、筆者はこう考えるにいたったと思い返しています。

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図11 民・産・官で清流を再生した源兵衛川 (静岡県三島市)

 

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図12 「土祭風景遠足」で訪れた桜の井 (2015/09/22 七井) 写真提供: 土祭事務局

 

 益子の風土のこれからに関した試論は、ここで書き終えることにします。最後に、益子を幾度も案内してくださった方々、ご研究の成果を惜しみなく伝えてくださった方々、聞き取りに際してご自宅に招き入れてくわしくお話を聴かせてくださった方々、貴重な資料をご提供くださった方々、こちらがお話をうかがうべき方をご紹介してくださった方々、主催される行事にお誘いくださった方々、風土・風景を読み解くつどいやその報告会にご参加くださった方々、そしてお世話になった土祭事務局と土祭実行委員会および益子町役場のみなさまに感謝の意を表したいと思います。ありがとうございました。

(土祭2015風土形成ディレクター 廣瀬俊介)

土祭2015アルバム|土祭風景遠足

町内各地区での「風土・風景を読み解くプロジェクト」の聞き取りや、
「風土・風景を読み解くつどい」の場で話題になったポイントを中心とし、
風土形成の基礎となる「水の流れ」を意識しながら風景の中へと歩みを進められるよう、
「水系」を基に3つのコースを設定した「土祭風景遠足」。

定員の関係で参加できなかった方も含め、広くみなさまにその様子を追体験していただきたく、
コースごとに行程をたどりながらご紹介します。

 

ぐみ川水系コース(田野・山本地区)

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最初の目的地は、ぐみ川流域を見下ろす前沢町有林の頂上。
天候にも恵まれ、雨巻山を始めとする益子町南東部に並ぶ山々も一望できました。

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山登りの後の空腹を満たしたのは、田野地区の女性たち特製の「里山弁当」。
公民館で地域のお話を聞きながら、楽しい昼食の時間となりました。

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昼食後、廣瀬ディレクターを先頭に、田野地区の爽やかな農村風景の中を歩く一行。

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続いて、山本地区の公民館で迎えてくれたのは、農村歌舞伎舞台の復活に携わった地域の方。
公民館にある襖絵の解説から、舞台を設置する神社の案内まで、充実したガイドをしていただきました。

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最後に演劇「花音」の会場となった八幡神社に立ち寄り、足取りも軽やかに帰路に就きました。

 

小宅川水系コース(小宅・七井地区)

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小宅川の上流部からスタートし、目指すは芦沼石の採掘が行われていた場所。
小さなお子様を始め、幅広い年齢層の方々にご参加いただきました。

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その後、一行は小宅地区の方々が環境整備に取り組んでいる小宅古墳群を散策。

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次の目的地は、綿の生産・加工技術を伝える取り組みを行う「コットンバンク益子」。
運営する地域の方による解説を聞き、綿の加工に用いられる道具にも触れることができました。

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続いて、七井地区に点在する「七つの井」のいくつかを巡りました。
その一つの「亀の井」に向かって歩く途中、田園風景に溶け込む一行。

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最後は地元のご家族に散策路を案内していただき、石畳の道を通って「蟹澤の井」まで歩きました。

 

大羽川水系~小貝川右岸台地コース(栗生・上大羽・下大羽・大沢・塙・星の宮地区)

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あいにくの小雨にも負けず、一行は栗生地区の眺望を楽しんでから上大羽地区へ。
地域のボランティアガイドにご協力いただき、地元作家の展示会場ともなっていた綱神社の周辺を散策。

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次に廣瀬ディレクターが案内したのは、下大羽地区にある凝灰岩の消防小屋と馬頭尊碑。
何気ない集落の風景も、風土を読み解く上で大切な手掛かりとなりました。

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続く大沢地区で訪問したリンゴ園では、ジュースを賞味しながらリンゴ農家のお話に耳を傾けました。

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さらに進んで小貝川右岸へと渡り、かつて小学校の分校として使われていた星の宮公民館へ。
一休みの後、自治会長のガイドで、公民館から木々の間へと続く気持ちの良い道を歩きました。

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最後に、塙地区の「つどい」で散策路とする提案も出た小径に囲まれた、明林寺の境内にも立ち寄りました。

この「土祭風景遠足」を通して、益子町のもつ風土の多様性や奥深さを感じていただくとともに、
それを掘り起こしてきた「風土・風景を読み解くプロジェクト」にもご注目いただけたなら幸いです。

※同プロジェクトの詳細とその記録である町内13地区の「土祭基礎資料」については、
こちらのページでご覧いただけます。

(事務局 今井|写真 長田朋子 土祭事務局)

[13]星の宮地区 風土・風景を読み解くつどい 6/13

2014年10月から、益子町内を13の地区に分けて開催してきた「風土・風景を読み解くつどい」。
多くの方のご協力により、土祭2015開幕の3か月前に当たる6月13日をもって、全地区での開催を終えることができました。
この場を借りて、改めて御礼申し上げます。

その最後を飾った、益子町北西部に位置する星の宮地区の「つどい」は、かつて益子小学校の分校として使われていた星の宮公民館にて開催されました。

風土風景_星の宮_150613-33_web[星の宮地区スライドNo.33]

子どもたちだけでなく、地域にとって大切な行事の場であった分校は、塙地区に益子西小学校ができたことにより1981年に閉校となりました。
その後行われていた自治会の運動会も子どもの減少などにより中止され、それに代わるものとして2010年に自治会長の加藤義勝さんを中心に始められたのが「星の宮フェスティバル」。

風土風景_星の宮_150613-44_web[星の宮地区スライドNo.44]

作品展示やステージ発表など、2日間にわたって多彩な催しが繰り広げられる「星の宮フェスティバル」には、星の宮地区にある益子芳星高校の生徒も協力しています。

風土風景_星の宮_150613-39_web[星の宮地区スライドNo.39]

1977年に高校ができる前のことについて、小出貫凡さんにお話を伺うと、「高校のあたりに村の山があり、松を育てて杭にして、小貝川の堰を修理した」とのこと。
これを受けて、廣瀬ディレクターが福島県内で携わる自然素材を水理にかなった方法で扱う取り組みを紹介。

風土風景_星の宮_150613-59_web[星の宮地区スライドNo.59]

さらに、高校の敷地には、星の宮浅間塚古墳や星の宮ケカチ遺跡が含まれ、古くからこの地に人々が暮らしていたことを物語ります。
ケカチ遺跡の発掘調査に参加した稲見正明さんは、朝鮮半島から来たともいわれる銀のスプーンを「俺がスコップでガチャンとやっちゃった」というエピソードを、聞き取りに伺った際に話してくださいました。

風土風景_星の宮_150613-74_web[星の宮地区スライドNo.74]

星の宮神社を改修したときの建設委員長も務めた稲見さんには、星の宮という名前の由来についても教えていただきました。

風土風景_星の宮_150613-77_web[星の宮地区スライドNo.77]

これを受けて、スライドでは北斗七星にまつわる妙見信仰を紹介。

風土風景_星の宮_150613-81_web[星の宮地区スライドNo.81]

また、塙地区で聞き取りに伺った大塚久一郎さんからも、星の宮神社についての情報が。

風土風景_星の宮_150613-92_web[星の宮地区スライドNo.92]

現代においてはイメージしづらい、この地と香取神宮との繋がり。
その疑問を解く手がかりは、河川の流路や水域の歴史的変遷にありました。

風土風景_星の宮_150613-93_web[星の宮地区スライドNo.93]

かつて香取海の南岸に位置していた香取神宮と小貝川を介して結ばれていたことは、想像に難くありません。
さらに時代を遡れば、この地における古墳や遺跡の存在にも小貝川の役割の大きさが窺われます。

風土風景_星の宮_150613-97_web[星の宮地区スライドNo.97]

そして、小貝川を介した関係は、より身近なところにも。

上流側の七井地区から今回の「つどい」に参加された方が、
「昔、このあたりに疫病が流行ったとき、神輿を川に流したのだが、どういうわけか上流へと流れて行き、七井の人々が肥柄杓ですくいよせて使うようになった。」
という七井に伝わる話を紹介したところ、星の宮地区の加藤さんが、
「昔、洪水や飢饉や疫病が相次ぎ、それを神輿のたたりとして川へ流したところ、それが川の上流へ流れて行ってしまい、七井のお百姓さんたちが肥柄杓で神輿をすくいあげた、と聞いたことがある。」
と応じました。

さらに、同じ話を聞いたことがあるという塙地区在住の参加者からは、
「川の水が逆流するはずはないので、村が疲弊して七井村へ神輿を売ったのを、七井で拾ったと便宜的に言い伝えているということなのではないか。」
との発言も。

隣接する地区の方どうしの情報交換により、「つどい」が一層実り多き時間となりました。

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今回の「つどい」には、このほかにも「風土・風景を読み解くプロジェクト」に関心を持っていただいた町内外の方、そして土祭2015の参加作家など、13地区の最後ということもあって地区外からも多くの方が集まりました。

この土地の環境と人々の暮らしを手がかりに、隣り合う土地との関わりや離れた土地との繋がりを確かめながら、「この土地で生きる」ことを見つめなおす機会としての役割を、「つどい」は果たしてきました。
そんな「つどい」の場でのやり取りを含む地区ごとの「風土・風景を読み解くプロジェクト」の記録は、「土祭基礎資料」としてウェブサイトで公開しています。
http://hijisai.jp/fudo-fukei/

土祭の企画や表現の「基礎」とするだけでなく、今後の町づくり・地域づくりへと繋いでいく取り組みとして進めてきたこのプロジェクト。
13地区の個性が凝縮されている(とはいえかなりのボリュームですが)「土祭基礎資料」を、お時間の許すときに是非ご覧ください!

(土祭事務局 今井)

[12]塙地区 風土・風景を読み解くつどい 5/24

土祭2015の会期も無事終えることができました。
来場していただいた方、参加や協力をしていただいた方、ありがとうございます。

さて、実施から時間が経ってしまいましたが、土祭を行うための基礎とした「風土・風景を読み解くプロジェクト」の12地区目となる塙地区、塙公民館にて5月24日に行われた塙地区の「風土・風景を読み解くつどい」の報告をいたします。

塙地区は益子町の中西部、益子町を南北に流れる小貝川の右岸の小高い台地の上にあり、西側は真岡市との境になります。
土祭2015の会期中、塙地区は「土祭風景遠足」の訪問地として、また「月待ち演奏会」の山車の運行や「夕焼けバー」への参加という形でご協力いただきました。

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「つどい」当日は、塙地区の多くの方々にお集まりいただき、参加者から多くのお話や質問をいただくことができました。
「つどい」はスライドと共に益子町全体から次第に塙地区の話題に移行します。

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[塙地区スライドNo.22]

益子町中心市街地より、小貝川を挟んで西を見る航空写真。
旧石器時代から中世、近世にかけて主要な遺跡分布を重ねてみると、塙地区にも多くの遺跡があったことが窺えます。
この場所は古代より人にとって住みやすい土地であったのでしょうか。

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[塙地区スライドNo.26]

その遺跡の一つ、塙遺跡の近くでは、「塙・星の宮めぐみの会」主催の益子の文化に触れて知ることができるラーニングバケーション「里のめぐみ」物語として、町内外の方々に農業体験と食事の提供を行ってきました。

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[塙地区スライドNo.43]

益子町内でところどころに植林されている桐の木についての話題へと進みます。
聞き取りを行った、桐箱の製作をしている星野壽男さんよりお話を伺いました。

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[塙地区スライドNo.82]

話題は地域の風習と行事のことに向かいます。多くの資料を塙地区在住の大塚久一郎氏に拝見させていただきました。

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[塙地区スライドNo.53]

百万遍は、念仏を唱えながら大きな数珠を14、15人でまわしていたとのことです。
百万遍で用いた鉦には「下町念仏講」の銘がある、とのお話が参加者から出ました。

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[塙地区スライドNo.54]

益子町中部の新町地区でも(鉦を鳴らして行う)葬式を「ジャンポン」「ジャンボ」と言う、と参加者からお話がありました。
新町地区のあたりでも同じ風習がありました。

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[塙地区スライドNo.58]

この地区には越後の一向宗の方、寛政10年より入百姓として、塙へ入植したという話です。
上記資料はその塙に来た入百姓が真岡代官からいただいた感謝状。
「年貢の他に米一俵を代官へおさめたことへの感謝」がその概要です。
原本は所有していた家が火災に遭い焼失してしまい、今は大塚久一郎さんが持つ写しが残るのみとのこと。

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[塙地区スライドNo.28]

話題は塙の水辺のことに向かいます。
参加者から、この地区にはタナゴはたくさんいた、というお話をいただきました。
カラスガイのような淡水二枚貝は、笹良池にいっぱいいたとのこと、さらに焼いて食べたことがあるとのことでした。

他にも全長20cmほどのヤツメウナギが、西谷の用水だけでなく小貝川にもいたそうです。
その小貝川について、400年程前の古地図に「山の崎川」と記されたものがある、というお話もいただきました。

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[塙地区スライドNo.93]

塙地区には、多くの魅力的な小径があります。
樹林の中の小径について、「ウォーキングブームなどにも合わせて、史跡の位置を合わせて掲載したウォーキングマップをつくり、地区で管理し折々に開放してもよいのではないか」との提案も。

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[塙地区スライドNo.116]

スライドの終盤は、塙台地の水田や畑を介した水が作り出した地形についての話題となり、最後に大塚久一郎さんが聞き取りの際に語っていただいた言葉で締めくくりました。
「風土って、範囲がとても広いですね。昔の生活がずっとつながっていて…。」

この土地の風土を知ることから始めてきた第3回目の土祭。
大塚さんの言葉、「風土って…ずっとつながっていて…。」との言葉に表されるように、繋がれてきた風土を知ることで人一人が携われる時間を超えた長い時間の中で精査されてきた貴重な記録はこの土地で暮らす多くの方々が共有できるものになり、風土を知ることはこの先の道筋を示す手がかりになるのだと思いました。

これまでの「風土・風景を読み解くつどい」の記録も含む土祭基礎資料はウェブサイトにて順次公開中です。
是非ご覧ください。
http://hijisai.jp/fudo-fukei/

(土祭事務局 萩原)

 

[11]下大羽地区 風土・風景を読み解くつどい 5/9

5月9日に下大羽コミュニティセンターにて開催した、益子町東部に位置する下大羽地区の「風土・風景を読み解くつどい」。
他の地区に比べて小規模でありながら、独自の行事を数多く実施し、町長にも「団結力が強い」と評されるこの地区の「つどい」には、事務局の予想を大きく上回る60名以上の参加者が集まりました。

その団結力を支える一端を担っているのが、地区内の組ごとに継承されている様々な集まり。
西の根組で今も続けられているのは、女性たちが集まって念仏を唱えるイチマンドウ。

[下大羽地区スライドNo.40]

イチマンドウの念仏は、聞き取りに伺った際に実演してくださった藤田節子さんにより、「つどい」の場でも披露され、参加者が皆で聞き入る一幕もありました。
「イチマンドウだけはここで、おばちゃんたちに来てもらった方がお互いに、一年に一回おばちゃんたちがしわしわの顔でもイチマンドウのお念仏やると生き生きするんですわ、一緒にお話しする機会もないし、いいんじゃないかな、と思って。」
そう藤田さんが語ってくれた念仏堂は、昨年秋に西の根だけで寄付を募って台風による傷みを補修したそうです。


[下大羽地区スライドNo.39]

その念仏堂があるのは、高台にある西の根の通りから大羽川沿いの低地に下る途中。
「昔の人は浄土みたいに感じたのかな」という言葉も、現地で聞くと自然に肯けるものでした。

昔から受け継がれてきたもののほかにも、地区を歩くとあちらこちらに「気持ちのよい」場所が。


[下大羽地区スライドNo.85]

5年くらい前に髙山英樹さんが登って「宇都宮まできれいに見えた」という富士山(ふじやま)。
廣瀬先生の一行が登ってみたところ、残念ながら山頂からの眺望はシノに阻まれていましたが、下山中には気持ちよく歩ける水辺の草原に遭遇。
このような場所の環境整備を行うことで、地域の方々、そして来訪者も楽しめる可能性が秘められているように感じられます。


[下大羽地区スライドNo.95]

今も昔も、この地区は多くの旅人たちを迎えてきました。
それを物語るのは、この地区から峠を越えて茂木町に入り、茨城県の笠間へと向かう「笠間街道」沿いに、かつて峠越えの行者が喉を潤した水飲み場がある、という言い伝え。
そのお話を小島喬さんに伺い、場所を探したもののなかなか見つからず、やっとの思いで茂みの奥にアサザが生育する湧水を発見。


[下大羽地区スライドNo.20]

言い伝えの場所の特定には至りませんでしたが、歩いて峠を越えた昔の旅人ほどではないにせよ、湧水のありがたみを感じることができました。

交通手段こそ自動車に代わっても、今も宇都宮と水戸の両県庁所在地を最短距離で結ぶルートの一部として利用されている「笠間街道」。
笠間から先には、太平洋へと向かう道が続きます。


[下大羽地区スライドNo.98]

かつて行われていた子どもたちの「海辺への一泊旅行」の意義を、廣瀬先生は南方熊楠による「比較の学」を引き合いに出して語りました。


[下大羽地区スライドNo.99]

「ある土地だけを見ていても、その土地のことはわかりにくいもの」。
土祭が益子の方々にとって、町内の他地域や町外のことを識る機会となり、それによって自分の暮らす土地をよりよく理解することに繋がれば。
そして、町外から土祭にお越しの方々にとっても、益子という土地を見ていただくことで、それぞれの暮らす土地をよりよく理解することに繋がれば。
そんな思いで準備を進めている企画の数々に、どうぞご期待ください!

(土祭事務局 今井)

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