「益子の原土を継ぐ」陶芸家 大塚 誠一さん

益子で採れる原土を用いて陶芸家・染織家・日本画家・左官、24名の作家たちが、
新しい表現に挑戦しています。
益子の原土「北郷谷黄土」「新福寺桜土」「大津沢ボクリ土」の3種類を使用し制作。
作品は、土祭期間中、展示会場のひとつとなる、陶芸メッセ内 旧濱田邸で、展示します。
24名の作家の、作品への想いを紹介します。

陶芸家 大塚 誠一さんの、作品への想いを紹介します。

城内地区に、細工場と陶器販売店がある大誠窯。
細工場へ続く道の脇には、傘立て、テーブル、椅子など、
ろくろでひいた大物が並べられてありました。
大物をろくろでひける陶芸家は、実はそんなにはいません。
確かな腕がないと、大物はひけないのです。大塚さんは、大誠窯の七代目。
大誠窯は百数十年前の開窯以来、代々 登り窯のみを使い続けてきました。
このテーブルなどの大物も、登り窯で焼き上げたものです。

大塚さんは、日本六古窯のひとつでもある兵庫県の丹波焼で4年間修行したそうです。
「日中は、掃除や師匠のお世話や、畑仕事などもやりました。
夜に、ろくろの練習をしたんですよ。」
修業時代のことを懐かしむように話し、登り窯を見つめました。

大誠窯の登り窯は、現在、益子で使用されている中では、最大規模。
燃料となる赤松は、大塚さん自ら、薪割りをしています。

細工場には、大塚さんが、蹴ろくろで成形した器が並んでいました。
丹波焼でも蹴ろくろを使用していて、その時、蹴ろくろのサイズを測っていたそうです。
益子に帰ってきてから、そのサイズをもとに、蹴ろくろを作り上げました。
益子でよく使われる蹴ろくろより、大きいサイズでした。

「土祭では、野焼きした土器のような作品を、3点出します。
原土3種類の変化があるので、3点という関係性を活かしたいですね。
土っぽいのが面白いので、焼いて、釉薬をかけるより、
野焼きの方が、自分の性格がでるかなと思っています。
普段作るのも、原土を使っているので、原土に対しての抵抗はないですね。
ボクリ土が扱いやすかったです。伸びがいいです。
地域の良さ、神社とか、いにしえの暮らしとか、匂うのが好きですよ。
地のものを使って、作りたいのです。昔からのやり方とか、大事にしたいと思っています。」

しっかりとした口調で、穏やかにひとつ、ひとつ、丁寧に話す言葉から大塚さんの、
確固たる信念が見えました。

 原土を水簸している場所に、案内してもらいました。
 水簸する場所は、大塚さんの手作り。1人で穴を掘り、コンクリートで固めたそうです。
「原土は、掘ってきてすぐは、ろくろでひけないのです。石が入っていたり、コシがないので。
ろくろで使えるように、自分で土を作る過程も、陶芸には大事な仕事です。」

薪割りや、畑仕事、土作りで鍛えられ、とてもたくましい大塚さんの手。
この手から、力強く、温もりがある器が生まれていきます。

(土祭広報チーム  仲野 沙登美)

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