[2]西明寺地区 風土・風景を読み解くつどい 10/25

天平年間(8世紀)に行基が開山し、紀氏が創建したと伝えられる真言宗の寺院、西明寺を有する農村地帯、
西明寺地区で、10月15日に「つどい」を開催しました。

[当日の会で用いられた50枚近い廣瀬先生作成のスライドより]

 

益子駅から東へ、陶器店が並ぶ城内坂の通りが始まる交差点「城内坂」を南に折れ、
町中に流れ込む百目鬼川(どうめきがわ)の細い流れに沿って遡るように、
ゆるやかに折れ曲がる道を進み始めると、左斜め前には西明寺を有する高舘山が見え、
左右には丘や雑木山、田畑が連なります。

前回の上大羽・栗生地区と同様、川筋に沿って細く開けた土地ですが、
廣瀬先生のスライドをお話を中心に、高校生から60代までの参加のみなさんであれこれ語り合ううちに、
また違った風土の形が見えてきました。

 

 

土地利用のこと、さつまいもや、かつて盛んだった葉タバコのことなど、それから、
参加者の方がお持ちいただいた、稲藁を使った「クシモチダワラ」や(写真下)
明治後期から昭和36年までこの地区でもっていた祇園の屋台の写真を見ながらの会話が続きました。

会場の空気がいちばん熱く?なったのは、昭和36年に、おとなりの茂木町へ「売却」という形で手放した屋台の話。
その理由はとしては、7月末の祇園祭は、葉タバコ生産の繁忙期と重なり担ぎ手がいなくなってきたことや、
祭りの時にけんかが絶えず、「屋台があるから悪い!」という声もあがり始めたこともあったとか。
売却した代金で、大谷石の公民館を作り皆の集いの場となったそうです。
(現在は、その後、別の場所に新しく作られています)

西明寺は、町中を流れる百目鬼川(どうめきがわ)の水源に連なる地区。
かつては多く見られた蛍やドジョウなど、水辺の生き物の話しでも盛りがりました。
前回のつどい「上大羽・栗生」地区では、「ババスコ」と読んでいたホトケドジョウは、
この地区では「ババッチョ」、「スナドジョウ」は、「スナッチョ」と呼ぶそうです。
「あの沢にもいた!」「まだ、◎◎にはいるんじゃないか?」など、
子ども時代の「仲間」だった生物の話をされるそんな年配のみなさんの瞳は、
祭りの話の時よりも輝いていたように思います。

*最後に、年内の「つどい」の日程をお知らせします。

11月17日(月)「城内・一の沢地区」1830ー2030 城内公民館
11月30日(日)「道祖土(さやど)地区」1830ー2030 道祖土公民館
12月15日(月)「新町・田町・内町・石並・生田目・栗崎・北益子地区」1830-2030 役場第会議室
該当地区外、町外の方も参加できます。ご不明等ありましたら、お問い合わせください。info@hijisai.jp

(土祭事務局)

ページの上部へ戻る