[7]田野地区 風土・風景を読み解くつどい 1/24

1月24日に開催した、益子町南部に位置し、平成28 年3月オープン予定の
「道の駅」建設予定地にもなっている田野地区の「つどい」内容を、
廣瀬俊介先生作成のスライドを一部紹介しながらご報告します。

この地区は、廣瀬先生が『土祭読本』執筆時に、丘と台地からなる益子町のことを、
関東平野の北部・鬼怒川低地に浮かぶ「緑の輪郭を持つ島」と表された際に、
「田野は益子の入り口」とも表現されていた土地です。


[田野地区スライドNo77]

なだらかで緑豊かな地形の上で営まれている伝統芸能や農業などが、地域の方々や廣瀬先生から語られました。


[田野地区スライドNo.53]

田野地区は、縄文時代から弥生時代の遺跡も点在し、聞き取りにご協力もいただいた小島朗さんは、
つどいの場に、畑から出たという土器を持ってきてくださいました。
「トラクターで深く掘り起こすと、けっこうな量が出てくるから、ほとんどは捨ててしまうよ」と
話されていました。


田野地区つどいのひとこま。地区で出土した土器をみなで見ています。


[田野地区スライド No.23]田畑の中に、古墳と鳥居。印象的な風景となっています。

「古くから人の営みが会った場所。人が住み暮らしていくのに、いいところだったんだよね」と
いう、歴史に詳しい他の地区からの参加者の方の発言に、地区の方々も皆頷かれていました。

そして、平成の今、作られる農作物に移り変わりはありながらも真摯で豊かな農業が営まれています。
田野地区東田井で山仕事や在来種の野菜を作り続けている高松大さん靖子さんご夫妻、
仲間たちと丁寧に土地に向き合いながら「百姓番長」というお米を生み出し、
今はニンニク栽培などを手がける仁平瑞夫さんとご両親、
農家の方達が育てた果樹で、地域の高齢者の方達を巻き込みジャムやジュースの加工品の
開発販売を進めている豊田昌昭さんのお話を、スライドを見ながら廣瀬先生が紹介していきます。

また、地区ごとの「つどい」も7回目となる今回では、
他の地区での聞き取りで浮かび上がっていたことが繋がってくることも興味深く感じられます。
その1つが、藁(わら)です。
第1回の対象地区、上大羽・栗生地区では、
「昔は、藁で氏神様の祠をつくり、毎年年末に新しく作り替えていた」というお話がありましたが…


[田野地区スライドNo.40 上大羽地区でのお話を紹介]

田野地区の高松さんのお宅では、毎年11月に水神様の祠を藁で作られていて、
それは、上大羽で聞き取りの際に絵に描いていただいた昔のものと似ていました。


[田野地区スライドNo41]

また、他の地区でも年配の方達から、「昔は蛍が多かった」ということとともに、
小麦の麦わらを使って「蛍籠を作っていた。でも今では作る人も減った」というお話を多く聞いてきましたが、
田野地区の仁平さんのお宅を訪ねると…


[田野地区スライドNo.50 ]
お母さんのコトさんが作られた蛍籠がありました。
廣瀬先生からは、その美しい構造体としてのフォルムについてもお話が。
そっとつかまえた蛍を中にいれると、すきまから漏れる小さな光が、とてもきれいなものだそうですよ。

農業とともに守られ継がれてきた伝統芸能についても聞き取りをし、
つどいの場で共有ができました。
同じ地域でも関わりの無い方は、なかなか知る機会がないものです。
東田井下郷の仙波司さんからはお囃子会の歴史や伝承について、長堤太々神楽を継承している会の代表、
永田九一さんからは会の歴史や楽器の修復、舞いのことなど幅広くお話を伺い、つどいで伝えることができました。


[田野地区スライドNo.44 ]仙波さんが愛用の太鼓用の譜面。

 

[田野地区スライドNo.30 ]永田さんも語られていた五行思想と舞いの装束の関係。

お囃子会でも太々神楽の会でも、町内外の他の地域との交流があります。
「途絶えていた神楽を復活させたいお囃子を復活させたい」という相談が他町から持ち込まれたり、
お囃子でも人手が足りない町に応援に行ったり。地域を超えて繋がることで、
未来に繋いでいく力も増して来るのだと思います。

次回は、2月14日に開催した小宅地区のつどいをご報告します。

次のつどいは…
大沢・北中地区 4月14日(火)1830-2030 あぐり館にて。
七井地区    4月28日(火)1830-2030 あぐり館にて

(土祭事務局 簑田)

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