[13]星の宮地区 風土・風景を読み解くつどい 6/13

2014年10月から、益子町内を13の地区に分けて開催してきた「風土・風景を読み解くつどい」。
多くの方のご協力により、土祭2015開幕の3か月前に当たる6月13日をもって、全地区での開催を終えることができました。
この場を借りて、改めて御礼申し上げます。

その最後を飾った、益子町北西部に位置する星の宮地区の「つどい」は、かつて益子小学校の分校として使われていた星の宮公民館にて開催されました。

風土風景_星の宮_150613-33_web[星の宮地区スライドNo.33]

子どもたちだけでなく、地域にとって大切な行事の場であった分校は、塙地区に益子西小学校ができたことにより1981年に閉校となりました。
その後行われていた自治会の運動会も子どもの減少などにより中止され、それに代わるものとして2010年に自治会長の加藤義勝さんを中心に始められたのが「星の宮フェスティバル」。

風土風景_星の宮_150613-44_web[星の宮地区スライドNo.44]

作品展示やステージ発表など、2日間にわたって多彩な催しが繰り広げられる「星の宮フェスティバル」には、星の宮地区にある益子芳星高校の生徒も協力しています。

風土風景_星の宮_150613-39_web[星の宮地区スライドNo.39]

1977年に高校ができる前のことについて、小出貫凡さんにお話を伺うと、「高校のあたりに村の山があり、松を育てて杭にして、小貝川の堰を修理した」とのこと。
これを受けて、廣瀬ディレクターが福島県内で携わる自然素材を水理にかなった方法で扱う取り組みを紹介。

風土風景_星の宮_150613-59_web[星の宮地区スライドNo.59]

さらに、高校の敷地には、星の宮浅間塚古墳や星の宮ケカチ遺跡が含まれ、古くからこの地に人々が暮らしていたことを物語ります。
ケカチ遺跡の発掘調査に参加した稲見正明さんは、朝鮮半島から来たともいわれる銀のスプーンを「俺がスコップでガチャンとやっちゃった」というエピソードを、聞き取りに伺った際に話してくださいました。

風土風景_星の宮_150613-74_web[星の宮地区スライドNo.74]

星の宮神社を改修したときの建設委員長も務めた稲見さんには、星の宮という名前の由来についても教えていただきました。

風土風景_星の宮_150613-77_web[星の宮地区スライドNo.77]

これを受けて、スライドでは北斗七星にまつわる妙見信仰を紹介。

風土風景_星の宮_150613-81_web[星の宮地区スライドNo.81]

また、塙地区で聞き取りに伺った大塚久一郎さんからも、星の宮神社についての情報が。

風土風景_星の宮_150613-92_web[星の宮地区スライドNo.92]

現代においてはイメージしづらい、この地と香取神宮との繋がり。
その疑問を解く手がかりは、河川の流路や水域の歴史的変遷にありました。

風土風景_星の宮_150613-93_web[星の宮地区スライドNo.93]

かつて香取海の南岸に位置していた香取神宮と小貝川を介して結ばれていたことは、想像に難くありません。
さらに時代を遡れば、この地における古墳や遺跡の存在にも小貝川の役割の大きさが窺われます。

風土風景_星の宮_150613-97_web[星の宮地区スライドNo.97]

そして、小貝川を介した関係は、より身近なところにも。

上流側の七井地区から今回の「つどい」に参加された方が、
「昔、このあたりに疫病が流行ったとき、神輿を川に流したのだが、どういうわけか上流へと流れて行き、七井の人々が肥柄杓ですくいよせて使うようになった。」
という七井に伝わる話を紹介したところ、星の宮地区の加藤さんが、
「昔、洪水や飢饉や疫病が相次ぎ、それを神輿のたたりとして川へ流したところ、それが川の上流へ流れて行ってしまい、七井のお百姓さんたちが肥柄杓で神輿をすくいあげた、と聞いたことがある。」
と応じました。

さらに、同じ話を聞いたことがあるという塙地区在住の参加者からは、
「川の水が逆流するはずはないので、村が疲弊して七井村へ神輿を売ったのを、七井で拾ったと便宜的に言い伝えているということなのではないか。」
との発言も。

隣接する地区の方どうしの情報交換により、「つどい」が一層実り多き時間となりました。

IMG_4557_web

今回の「つどい」には、このほかにも「風土・風景を読み解くプロジェクト」に関心を持っていただいた町内外の方、そして土祭2015の参加作家など、13地区の最後ということもあって地区外からも多くの方が集まりました。

この土地の環境と人々の暮らしを手がかりに、隣り合う土地との関わりや離れた土地との繋がりを確かめながら、「この土地で生きる」ことを見つめなおす機会としての役割を、「つどい」は果たしてきました。
そんな「つどい」の場でのやり取りを含む地区ごとの「風土・風景を読み解くプロジェクト」の記録は、「土祭基礎資料」としてウェブサイトで公開しています。
http://hijisai.jp/fudo-fukei/

土祭の企画や表現の「基礎」とするだけでなく、今後の町づくり・地域づくりへと繋いでいく取り組みとして進めてきたこのプロジェクト。
13地区の個性が凝縮されている(とはいえかなりのボリュームですが)「土祭基礎資料」を、お時間の許すときに是非ご覧ください!

(土祭事務局 今井)

ページの上部へ戻る