七つの神社を巡る|生井亮司さん(1)紹介コラム

10月15日からのメイン期間では、アーティストの屋外展示が始まります。
どんな考えや環境で創作活動を行い、土祭2021では
どんな世界を私たちに見せてくれるのでしょうか。
土祭2021の広報冊子『ヒジサイノート』に掲載中のアーティストへのインタビュー記事を、お一人ずつ、こちらでも順に紹介していきます。今後、住民レポーターさんたちによる制作風景のレポートの掲載も始まりますので、どうぞお楽しみにお待ちください。
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撮影:木本日菜乃(生井さんの教え子で現在はフォトグラファー。会場のリサーチに同行した)
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アートプログラム|七つの神社を巡る  八幡神社(山本)
生井亮司さん  
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アイデンティティを形成していく途上にある、少年の姿。 三年に一度の土祭で、私たちは、乾漆という技法で、生井亮司さんが生み出す「心と体」に出会ってきた。さて、今回は?

「依頼があればつくりますが、人体の彫刻は、最近は作品として制作していないのです」

意外な答えが返ってきた。
自分とは何か?を考え続けながら創作する過程で、ある時から、人体の彫刻が「自分を見て!僕の作品を見て!」と言っていると思えるようになったそうだ。また、生井さんは抽象的な作品が好きで憧れも持ちながらも、なかなか形にはできなかったと言う。この造形には意味があるのか?と自問することが多く、意味がないと思うとつくれなくなっていた。

世界の端っこに、そっと。

意識に変化が生まれたのは、この二、三年のこと。美術教育の研究者でもある生井さんは、論文を通して思索を進めていく中で、ある時期から“意味はなくていい”ということに納得がいったそうだ。

「アーティストは直感でそれをやってきた人も多いと思うけれど、僕はやっと自由になれたんですよね」と、生井さんは手元にあった一枚の紙を丸め始めた。

「例えば、授業で学生にやってもらうんですけど。こんなふうに紙をしわくちゃに丸めて、それから少しずつゆっくりと丸めた紙を広げながら、あ、きれいじゃん、と思った瞬間で止めてね、と。その状態って何かわからない、意味がない。でもその形をきれいだと感じた感覚を大切にしてくださいと学生には話します。言葉になんか置き換わらないし、これ何?と聞かれても答えようがない。それでもいいんだよ、と。そこに作者としての自分がちゃんといて、世界の側に素材などがあって、その間にあるものをつくっていくということです」

今回は、抽象的な造形になりそうですね。
「はい。いろんなものが溢れている世界の中に、こんなものがあってもいいかなと自分でも思えるものを、端っこにそっと置かせてもらう、そんな意識で作品が作れたらいい。だから山本の八幡神社で実現したいのは、僕の作品があることによって、そこの空間が見える、ここっていい場所だよね、と。そういう展示ができたらいいと思います」

受け取る私たちは、アートをどう見れば良いのか? 子どもや保護者を対象に哲学対話の場もつくる生井さんは、よく尋ねられることだと言う。

「正解なんてないから自由に見ればいいんです。問い直しの機会だと思って。日常の中で当たり前だと思っていることでも、そもそも?と問い直していくと、実はそんなに当たり前のことってない。そんなに大事じゃないこともあるし、そういう日常の問い直しみたいなことが、哲学やアートにはある。ああ、こんなふうに見えるんだ、と。哲学やアートは、そこを繋いでいくものですから」

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生井亮司さんプログラム紹介ページ
http://hijisai.jp/program/c-03-2/
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『ヒジサイノート 4号』より転載。
益子の未知の日常を探る巻頭記事なども掲載した土祭2021の広報冊子『ヒジサイノート』は
土祭オンラインサイトでも送料のみで購入できます。
https://hijisai.stores.jp
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取材・執筆・写真|簑田理香(風景社)

 

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