写真展|「益子人―高橋恭司が撮る益子に暮らす500人の肖像」 レポート|ゆっくり、じっくりと味わいたい写真展

丘の上の写真展

益子町の陶芸美術館/陶芸メッセ・益子の第3展示室と旧濱田邸で始まった益子町出
身の写真家、高橋恭司氏の写真展。
初日に訪れると、敷地には甘い香りが漂い、見渡すと大きな金木犀が淡いオレンジ色
に溢れていた。

美術館はかつて御城山遺跡があった丘陵に建っていて、高舘山から北西に延びる尾根
の先端にあるという。

高橋恭司さんに以前、お話を伺ったときに、「陶芸メッセのある丘は益子のパワースポットだ。」と話していたことを思い出す。
なるほど、遺跡と思われる石に腰掛けて辺りを見渡すと、遠くの山も見えてエネルギーが満たされて
いく感じがする。
とても気持ちの良い場所だ。
きっとこの展示には高橋さんが「五百羅漢をイメージした」と話していた益子の五百羅漢がいるに違いない。

町の人が主役

  

会場に入ると、少し照明が暗く、部屋の中央に置かれたたくさんの豆電球が明かりを灯されていて、
外の世界とは別の空間に感じられ、写真の世界にすっと入っていった。

写真は、壁の中段にまとめて展示してあり、白い壁の上下は余白となり、より一層、
一人一人の顔を見ることが出来た。

ひとつひとつじっくりと見ていくと、画面いっぱいに写っている人、横向きの人、暗い中で光が差し
込んでいる人、目を瞑っている人、青空の中の人など、それぞれが違った撮られ方をしている。

高橋さんは、「写真には愛を込めている」と話していたが、この人たちにどんな愛を込めたのだろうと、想像する。

私は益子に暮らして20年、写真の中には多くの知り合いや友人たち、久しぶりに写真越しに会った顔もあった。
直接だったら不躾になるくらい、一人一人の顔をまじまじとを見ていると、元気そうだな、変わってないな、熟成したお顔だなとか、どういった縁でこの撮影に参加したのかな、何を思って毎日暮らしているんだろうなど、写真の中の人たちへの興味がどんどん湧いてくる。

知っている人も知らない人も、その人の奥行きが知りたくなる写真だ。

 

また、敷地内にある茅葺きの古民家の旧濱田庄司邸の中にも展示されている。

和の空間に背中合わせのように展示されている二つの大きな写真のうち、
一人は目を瞑っていて、もう一人は目を開いている。対照的なようで何か共通点があるのだろうかと考える。
障子越しの柔らかな光があたり、温かな雰囲気も感じられて、ゆっくりと眺めていたい作品である。

  

別の日に、展示を見に来ていた益子町の方に感想を聞いたところ、

「町の人が主役だね。何か賞を貰ったわけではない、競技に勝ったわけでもない、そういうくくりで
はない、高橋さんの『写真を撮るよ』という呼びかけで集まったなんてすごいね。ほかの町でも、町の人が関わるこういう写真展が開かれるといいね。」と、話してくれた。

確かに、長寿でもない、虫歯がゼロでもなく、讃えるためではない、写真家高橋恭司氏の元に縁あって(これはもう縁と言ってもいいと思います)集まった人びとが撮影された肖像が、一堂に会する写真展はあっただろうか。

選ばれたのではなく、自ら選んで来た人たちの写真展を私は縁というつながりを表した素敵な展示だなと思う。

込めた愛は

益子で育った高橋さんが、益子で暮らす人たちを撮影し、そして、益子で生きている人の今を写している。

高橋さんはその人たちに、同じ空気の中で暮らしたという懐かしさのようなものを感じただろうか。

見る人は、写真が入り口となって一人一人の背景、つながり、思い、それぞれのストーリーに思いを馳せるだろう。

見えているのは、切り取ったその一瞬で、次の瞬間は見えないし、その前も見えない。
その見えない部分はないのではなく、見えないだけで、当たり前だけど、存在し続けている。

私には、一瞬を切り撮られた中に愛が込められたのではなく、その人のストーリーに優しく寄り添っ
ているように感じられた。

写真の中のその人を知りたい、と思ったならば、それは高橋さんの込めた愛を感じたことになるのではないだろうか。

展示は11月14日まで開催されています。
無料となっていますので、ぜひ何度でも足を運んで、ゆっくりと、じっくりとご覧ください。

(土祭2021 レポーター 横溝夕子)

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