[3]城内・一の沢地区 風土・風景を読み解くつどい 11/17

町外から益子町に遊びにきていただいたみなさんが必ずといっていいほど訪れるのが、
陶器店やギャラリーが並ぶ城内坂の通りだと思います。
通りから、少し足を踏み入れると、古い稲荷神社があったり、
かつての生活道路や高舘山の高舘城へ続いたいたという道が現れます。
城内自治会と、その南に繋がる一の沢地区のつどいを、11月17日に行いました。


つどいに先立って、廣瀬先生と地域町民リーダー、事務局では、今年90歳のご夫婦、大塚一男さんイネさんご夫妻(写真上)、塚本央さん(陶庫)、日下田正さん(写真下・日下田藍染工房)、そして一の沢で600年も続く旧家の三田正志さんに、お話をうかがい、地域の方々から古い写真をお借りしました。

 

聞き取りや踏査をもとに廣瀬先生が作成し、つどいで上映したスライドより4点をご紹介します。

城内と一の沢地区がある地形を、かつての城や街道とあわせて、みなで確認しました。

 

城内坂の交差点から南に入った一の沢地区には、自然も豊かに残ります。ため池の横の道を登ると、
ひっそりと石の祠と鳥居が残る「鳴神神社」が。

 

 

ゆったりと歩ける城内坂の通りも、かつては高舘山から繋がる小高い丘を切り通して作られたもの。
残された公図などの記録から、切り通しの工事は明治29年以前には行われていたようです。
つどいでは、年長者のみなさんが語る子どもの頃の思い出や、
かつての通りの話に、若い世代の方たちが「へえー!」とうなずく場面が何度も。
城内に軒をつられていた店の種類も、みなさんから口々に語られ、紺屋、鍛冶屋、籠屋、箪笥屋、
竹細工屋、唐傘屋、荷鞍屋などの名があがりました。
暮らしに必要なさまざまなものが、丁寧に作られ、歩いて動ける範囲内で作り手から買い求めることができた時代がありました。

 

塚本央氏提供の昭和12年ごろの写真。昔の益子祇園祭などでは、
城内と一の沢が一緒にひとつの山車をひいていたそうです。
山車の飾りを竹と和紙で作っていたのは、器用さで有名だった方とのこと。
高張提灯は山車が電線や電話線をくぐる際に斜めに下ろせばよかったけれど、
山車のお飾りにそれはできず、長い棒状の道具で線を持ち上げてくぐらせたという
エピソードも語られました。

今回も、2時間があっという間に感じられ
「お金をかけて、わざわざ遠くに行かなくても、益子には良い所がたくさんあると感じました」
という自治会長さんの最後の感想が印象的でした。

 

次回のつどいは

「新町・田町・内町・栗崎・北益子・石並・生田目」
12月15日(月)18時半〜20時半 役場2F大会議室

「山本地区」
1月13日(火)18時半〜20時半 松本コミュニティセンター

「田野地区」
1月24日(土)18時半〜20時半 改善センター

ほとんど毎回楽しみに参加される方も、県外から参加される若い方も。
該当地区以外のみなさまも、ぜひおでかけください。 (土祭事務局 簑田)

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