[9]大沢・北中地区 風土・風景を読み解くつどい 4/14

今年度の第一弾として4月14日にあぐり館にて開催した、益子町北部に位置する大沢・北中地区の「風土・風景を読み解くつどい」。
西は小貝川沿いの低地から東は隣の茂木町に続く丘陵地まで、多様性に富んだ風景が見られるこの地区の「つどい」のご報告です。

[大沢・北中地区スライドNo.17]

広いこの地区を丁寧に読み解いていくため、今回の廣瀬先生のスライドは歴史の流れに沿った組み立てに。
縄文時代の遺跡が点在し、古くから人が住んでいたことが分かります。

[大沢・北中地区スライドNo.19]

続いて、長い歴史を有する寺社。
景行(けいこう)天皇については諸説ありますが、実在を仮定すれば御霊(ごれい)神社の創建は4世紀頃!
昔から続く神社の行事を引き継ぐべく、今を生きる地域の方も様々な工夫を。

[大沢・北中地区スライドNo.35]

神社のほかにも、さらに小さな「おまつり」の話が数多く。
小塙宏人さんに聞き取りに伺うと、大日堂、薬師堂、弁財天などを地域の役員で今でも「おまつり」しているとのこと。
中でも「沼の真ん中に弁天様がある」との情報が気になり、事務局員が道を聞いて行ってみたものの、沼らしきものは見当たりませんでした。
諦めかけていたところ、後日廣瀬先生と周辺を踏査していたときに偶然小塙さんに遭遇。
これは幸運、とばかりに案内をお願いして、水が染み出す森の奥へと連れて行っていただきました。

[大沢・北中地区スライドNo.41]

沼の「中の島」にあるという弁天様の祠は生い茂る草木に遮られて見えませんでしたが、それでも年1回の「おまつり」を欠かさず続けているとのことでした。

「続けること」ばかりでなく、「新たに始めたこと」にも歴史の流れの中に位置づけられるものがあります。

[大沢・北中地区スライドNo.60]

平安時代末期の創建と伝えられる北中八幡宮ですが、実は江戸時代に氏子たちにより再建されたもの。
その八幡宮の例大祭では昨年、29年ぶりに子どもみこしが出陣。
清水益栄さんが「結構住みよいところなんで、子どもが増えている」と語る北中の方々が、せっかく子どもが増えたので「何かやろう」と復活させました。

[大沢・北中地区スライドNo.89]

室町時代、良栄上人が開創した円通寺には、学問所としての「大沢文庫」が置かれ、多くの子弟を育成しました。
その流れを受け継ぐかのように、現代の大沢では、石川綾子さんが自宅の一室を子どもたちのために開放し、「まーしこ・むーしか文庫」を開設しています。

[大沢・北中地区スライドNo.53]

第二次大戦後、大沢の丘陵地帯では食糧増産のために雑木山の開拓が行われ、葉タバコと麦類を中心とした農業が営まれてきました。
そんなかつての開拓地で、昭和57年に島田春夫さんが葉タバコからリンゴの栽培に転換したきっかけは「子どもはやらないと思った」こと。
最初はノウハウがなかったため、遠方のリンゴ農家に自分で連絡を取って教わりに行き、今では約25もの品種を栽培しています。

これらの「新たに始めたこと」に共通しているのは、未来を担う世代への思い。

[大沢・北中地区スライドNo.88]

それは、地域のあり方にも深く関わってきます。
そのことを端的に表すのが、幼稚園を経営しながら、平成17年に世代間の交流と地域活性化を目的に大沢お囃子会を立ち上げた佐藤広志さんの言葉。

[大沢・北中地区スライドNo.67]

世代を「つなぐ」、そして地域を「つなぐ」ことへの真摯さが共有されたのか、廣瀬先生の報告を聞いた参加者からは次々と新たな情報提供をいただきました。

中でも、綿を扱う技術の復活に取り組む橋本晧郎さんは、かつて真岡木綿の産地に含まれたこの土地で明治時代から「ぶつっと切れた綿の文化をつなぎなおしたい」との思いを語ってくれました。

風土・風景の読み解きを土祭に、そしてその後に「つなぐ」ことへの期待の高まりを、改めて感じた「つどい」でした。

…………
土祭2015に向けた全13回の「地区ごとの風土・風景を読み解くつどい」も、残すところあと2回。

今後の「つどい」は…
塙地区   5月24日(日)18:30-20:30 塙公民館にて
星の宮地区 6月13日(土)18:30-20:30 星の宮公民館にて

お住まいの地区にかかわらず、どなたでもご参加いただけます。
この機会をお見逃しなく!   (土祭事務局 今井)

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