「益子の原土を継ぐ」陶芸家 村澤 亨さん
益子で採れる原土を用いて陶芸家・染織家・日本画家・左官、24名の作家たちが、
新しい表現に挑戦しています。
益子の原土「北郷谷黄土」「新福寺桜土」「大津沢ボクリ土」の3種類を使用し制作。
作品は、土祭期間中、展示会場のひとつとなる、陶芸メッセ内 旧濱田邸で、展示します。
24名の作家の、作品への想いを紹介します。
陶芸家 村澤 亨さんの、作品への想いを紹介します。
村澤陶苑の5代目 村澤さんの細工場は道祖土にあります。
代々続く窯元。型おこしなどの手伝いから始め、作るのが面白いと気付いた学生時代。
家族から陶芸をやって欲しいと言われたことがなく、強制もなく、
陶芸の道に進むと伝えると、お父さんは、
「大変だけど、頑張りなさい。」
と言い、いろいろな技術を伝えてくれたそうです。
この丸い入れ物は、サヤと言います。
焼成時、窯内に器物をできるだけ多くいれたい時、もしくは、
保護する目的で窯積みに用いる耐火粘土製の容器のこと。
「私は、サヤの中に籾灰を入れて、3種類の原土があるので、
3つの皿を釉薬をかけずに焼きました。
サヤの中で、皿同士を2つ合わせて焼いたので、皿の内側、合わさった部分は還元になり、
高台との、色の変化が出るかなと、そこを狙いました。
原土の中には、生地が弱くてへたっちゃうのもありましたが、完成できました。」
村澤さんは小鉢と湯飲みをを持ってきて、
「原土を水簸して残った砂を泥状にして、器の仕上げに刷毛で、泥砂を塗ってみました。
白泥で刷毛目という仕上げがありますよね。あれの、原土の泥砂バージョン。
水簸して残った砂は、濾し砂と言って、登り窯の補修に使うのですよ。
補修だけでなく、作品にできたら面白いなと思って、塗ってみたんですよ。
湯飲みは表面がゴツゴツしているけど、なんとか使えそう。
小皿は、使えなさそうだなぁ。」
食べ物を盛るのに使いづらいのなら、灰皿はどうでしょう?と提案してみたところ、
「灰皿いいですね。」
泥砂を刷毛目にした小鉢と湯飲みの仕上がりは、砂の粒々が見え、
刷毛で塗ってあるので流れるような勢いがあり、表面が荒々しい。
登り窯に案内してもらいました。
焚口が2つある、珍しい登り窯だったそうです。
村澤さんが小さい時にお父さんが作り、幅も広ければ、長さもあり、
10部屋ある大きい登り窯だったことが想像できます。
この登り窯は、震災で壊滅的に破壊されました。
村澤さんは補修し、この焚口と部屋を3部屋残し、記念に残したそうです。
「父が亡くなった2か月後に、震災がありました。
全て登り窯を壊して、新しく作ろうかと思ったのですが、2つの焚口がある前だけは残しました。
壊す時は、本当に辛くて・・・
この2つ焚口がある登り窯で、祖父や父、職人さん達と、年に4回は焼いていたのですよ。
壊した材料を使って、窯作りの職人さんと新しく作った登り窯は、こちらです。」
新しく作った登り窯の材料は、お父さんが作られた登り窯の材料と同じ。
窯作りの職人さんの支持を受け、ボランティアの方達と、一緒に作られたそうです。
「自分1人で窯をいっぱいにすること、焼くことは大変ですが、年に1回焼いています。
益子の登り窯は、量産できる立派な登り窯です。
私には息子がいるので、息子に見せる意味でも焼いています。
現在は、何にしても便利ですよね。
陶芸の焼成でも、ガス窯や灯油窯などがあり、簡単に焼けるようになりました。
そうじゃなくて、便利なことからは得られない付加価値が、登り窯にはあると思っています。
登り窯で焼くということを、益子に残していかないと。
そして、益子焼を残したい、そういう想いが強いです。」
村澤さんのお父さんも、登り窯を焼くところを子供に見せたくて、登り窯を作られたのでしょう。
お父さんの想いは、村澤さんに受け継がれ、そして息子さんへ。
想いだけでなく、技術もしっかりと受け継ぎ、登り窯で焼く作品を村澤さんは作りためていました。
(土祭広報チーム 仲野 沙登美)