「益子の原土を継ぐ」陶芸家 萩原 芳典さん

益子で採れる原土を用いて陶芸家・染織家・日本画家・左官、24名の作家たちが、
新しい表現に挑戦しています。
益子の原土「北郷谷黄土」「新福寺桜土」「大津沢ボクリ土」の3種類を使用し制作。
作品は、土祭期間中、展示会場のひとつとなる、陶芸メッセ内 旧濱田邸で、展示します。
24名の作家の、作品への想いを紹介します。

陶芸家 萩原 芳典さんの、作品への想いを紹介します。 

益子の原土を継ぐ 萩原芳典さん
一の沢地区にある萩原さんの細工場。
萩原さんは、伝統的な益子焼を作り続ける陶芸家であり、萩原窯の5代目。
作品は日本を飛び立ち、諸外国の美術館にも収蔵されています。
萩原さんは多趣味で、熱帯魚や金魚の水槽がたくさん置いてあり、
夜釣りを楽しんだり、夏になると、オニムシ捕りをするのに早起きするそうです。
オニムシとは、方言でクワガタのこと。
「バケツいっぱい捕ってきますよ。今度あげましょうか?バケツにいっぱい。」
冗談を言って、笑わせてくれました。

益子の原土を継ぐ 萩原芳典さん
ろくろを回し、すすすーっと土が伸びていきました。
萩原さんはただ、手を添えているだけのように見えます。
短時間で、鉢が出来上がりました。

「土祭の作品は、低温焼成し、弱めに焼いたふわっとした感じの器を作ろうと思っています。
いつもは1310度くらいで焼いていますが、1180度まで落とします。
益子の柿釉は溶けないですが、益子の黒と言われている釉薬は、蕎麦釉のように変化しますし、
並白釉はやわらかい表情を出してくれます。
低温焼成は、素焼きをしません。
生掛けと言われる、素焼きをしない生地に釉薬をかけて焼くということや、
長時間焼かないので、エコだと思っています。」

低温で焼かれたテストのぐい飲み。
萩原さんがゆったりとひいたぐい飲みは、ふわっと軽い仕上がり。
持ってみましたが、焼きが甘いなどはありません。
粘土からだと2日もあれば完成させられると、萩原さんはおしゃっていました。
ろくろでひいて、縁の部分が乾いたら裏返して、硬さを見て、高台を削り、
完全に乾燥させて、素焼きして、釉薬をかけて、本焼きをするという一連の流れは、
かなり時間がかかります。
素焼きなしだとしても、2日間で完成させるとは驚きです。

低温焼成をするきっかけを伺いました。
「15年前に、窯業指導所の先生が、低温焼成の土作りを試験的にやっていたんですよ。
お前もやってみろと言われて、土をもらったのですが、土はずっと眠ったままでした。
やりたいという気持ちが高まり、低温焼成の作品を作り始め、研究し続けています。
普段は、手濾し粘土職人 吉沢仁さんが作った土をベースに、ずっと使っていたのですが、
吉沢さんが土作りをやめてしまったので、自分で原土を掘り、粘土を作り始めました。
現在は、原土の作品ばかりですね。
今度から、水簸せずに粘土を作ろうと思っているんですよ。
スタンパーと言う粉砕機を手に入れたので、原土を粉砕して、ふるいにかけて、
水を足して、粘土にして、器を作ろうと思っています。」

益子の原土を継ぐ 萩原芳典さん

萩原さんは、ろくろから離れ、制作途中の片口の前に座りました。
「第1回目の土祭では、土人形を登り窯で素焼きする手伝いをしました。
造形作家のKINTAさんと、陶芸家の大塚一弘さんと一緒に焼きました。
登り窯で素焼きをするというのは、本焼きするより難しいのですよ。
タイミングがすごく大事で、火が直接当たると割れてしまうし、火が走っちゃうと全滅するし。
680度を3時間保って、1部屋ずつ焼いていきました。
2回目は、祇園祭の若衆 城内山車組に頼まれて、日下田藍染工房のところで警護をしていました。
3回目は、作家として参加します。地元の人達と協力してやれたらいいなと思います。」

窯焚きといったら、萩原芳典さんに頼むという話は、他の陶芸家から伺ったことがありますし、
実際、私が窯元で焼き物の修行をしていた時も、耳に入ってきました。
窯焚きとオニムシのことは、萩原に聞け。
何故か。それは、萩原さんが窯焚きに立ち会った回数が、かなり多いからだとわかりました。

益子の原土を継ぐ 萩原芳典さん

「震災前は、この登り窯で、年に8回焼いていました。
窯焼きを頼まれることも多く、年13回焼いたこともありましたね。
穴窯とか入れると、もっと焼いていますね。
窯が好きで、電気窯、灯油窯、ガス窯、登り窯がうちにはあります。
原土掘りも楽しいし、窯焼きの段取りをぶつのも楽しいし、窯焼きはもっと好きで、
全て楽しいです。うちの登り窯は、かなり焼いているで、地震の時でも壊れなかったんですよ。
中を見てください。がっちり固まっているでしょう。
登り窯の後ろの2部屋は少し崩れましたが、あとは無傷。残っていてくれてよかったです。」

登り窯の前で、窯焼きの話をする表情がほころんでいました。
先人から受け継いだ登り窯の焼成の技と、ご自身で経験して積み上げていった窯焼きの技。
伝統的な益子焼を作りつつ、新しいことも研究し続けるからこそ、
萩原さんの鋭い感性が磨かれているのだと思います。

(土祭広報チーム  仲野 沙登美)

ページの上部へ戻る