若杉集「失われゆく自然から学ぶ」
若杉さんが益子で生息調査を続けている、希少種のハッチョウトンボ。撮影も若杉さん
益子の土をめぐる対話 陶芸家 若杉 集 |構成・文 陶芸家 鈴木稔
第2回「失われゆく自然から学ぶ」
若杉集さんには独自の視点があります。やきものを始めたころから土に関心を持ち、
益子に来て土を作る職人さんの仕事ぶりに感銘を受けた前回の話からも、
身近にあるものや市井の人々への温かな眼差しを感じます。
その視線は自然生態や環境問題へも注がれました。普通なら見過ごしてしまいそうな、
けれどもとても貴重で後世に残していかなければいけない、そんな生態系や環境。
若杉さんはそれらを守る活動を地道なフィールドワークと共に続けてこられました。
その活動や姿勢は、若杉さんの土への取り組みに通じています。
現在も続けていられる「益子の自然観察会」には、これまで沢山の人々が参加しています。
今回は自然観察と環境保護の活動のお話を紹介します。(鈴木)
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【始まりは自然への興味】
僕は1989年10月から、「益子の自然観察会」というのを1人で立ち上げました。
益子の自然をていねいに見ていこうと、最初は野鳥の観察から始めました。徐々に植物、
昆虫と広げいって、現在も定期的に行って続けています。
環境について取り組むきっかけになったのは農薬の空中散布問題です。
僕も益子に来た当初は何も感じていなかったんだけれども、結婚して子供が生まれて、
初夏の頃、家中にすごく甘い匂いがただよったことがありました。何だこの匂いは?と思って
原因を探ったら、自宅の直ぐ近くまでヘリコプターが来て、
水田に大量に農薬を撒いていたのです。
これは大変だと思って、町役場の農林課に行きました。
「ちょっとまずいと思うんだけれども、大丈夫なんでしょうか」と。
真剣に話を聞いてもらいたかったのですが、詳しいことはわからず、
それなら自分で調べようと思って、素人ながら農薬の勉強を始めたのです。
益子町は農業が主要産業ですから、やはり風当たりは相当強かったのですが、
でもどうしても心配だったから、どんな農薬が使われているのか一生懸命手を尽くして調べました。
その結果、使われていた農薬が人体に悪影響があることがわかって、
危ない農薬の使用を止めるように、いろんなところへお願いに行ったんです。
他所から来た人間が、農家を相手に意見をすることはとても大変なことで、
なかなか聞き入れてもらえなかったのですが、
それから5年後ぐらいに空中散布は行われなくなりました。
その間に学んだ事は、理屈じゃだめなんだということ。
自然がどのような影響を受けているのかを調べ伝えれば、
理解してくれるのではないかという想いで、まず身近な野鳥を知ることから始めました。
【昆虫の生息地調査から得た教訓】
1990年代に、栃木県がゴルフ場開発を規制する方針を発表をしました。
栃木県全面積の5%以下にしようという内容でしたが、5%にしても物凄い広大な面積で、
全国でもゴルフ場がとても多い県です。
そういう指針を出したもので、駆け込みでゴルフ場の開発が一気に増えました。
特に益子には、集中してゴルフ場が入ってきたのです。現在、益子町の面積の7%以上が
ゴルフ場なんですが、最後に大平地区でゴルフ場開発が行なわれることを知りました。
その予定地は小宅川支流の水源地でもあり、すばらしい自然環境が残っている最後の砦みたいな場所でした。
ゴルフ場予定地や周辺にはいくつかの沢があって、いろんな種類のトンボが生息していました。
中でもハッチョウトンボという、宇都宮市では天然記念物になっている珍しいトンボの、
その時点では益子最大の発生地も含まれていました。
そこで主にトンボの生息地調査を行ない、自然環境の保全を訴え、ゴルフ場開発に反対する運動をしました。
開発計画の渦中で理不尽な出来事を目の当たりにして怒りを覚えましたし、その地域の山林が
貴重な水源地であることに加え、なんとか希少なトンボたちの生息地を守ろうと最後まで頑張ったんだけど、
結局ゴルフ場はできてしまいました。そのときの教訓として自然環境の保全を訴えるには、
にわか調査ではダメなんだ、やるなら徹底的にきちんと調査しなければいけないんだと強く感じました。
【フィールドワークから得たもの】
それ以来、ハッチョウトンボの調査は絶対に続けなければいけないと思ったのです。
いずれ何かが起こったときに、いつでも対応出来るように。
益子町の地図を広げてハッチョウトンボがいそうな沢や休耕田を全部ピックアップして、
一つ一つ歩いたんです。全て終わるまでに3年ぐらいを費やしました。
ハッチョウトンボの生息地調査は、かなり完璧に近いものができました。
そのときに益子中のほとんどの沢を歩き回ったので、同時に粘土を探して片っ端から調べました。
このころは、非常に有意義な楽しい時期でした。
調査が進むにつれて、だんだんと益子の粘土の分布状況がわかってきました。
はじめは北郷谷と新福寺の組合の粘土ぐらいしか知らなかったけど、
どうもいろいろな地域に、大量ではないけど少しずつならあるぞということがわかってきて、
ワクワクしました。
ハッチョウトンボの調査と前後して、下大羽地区にサーキット場ができるという話が持ち上がりました。
益子・笠間街道から茂木町に入る手前の東山林道を入ったあたり、
町の境一帯の広大な国有林が売られるということでした。
実はそこの東山林道の沢というのが、希少種を含む多種のトンボが生息する沢で、
たまたまそのあたりを調査をしていました。
これはどうにかしてサーキット場の建設を絶対に止めなければいけないと思い、皆に相談しました。
多くの人が賛同してくれて、自然を生かした町づくり、町民の声が反映する町づくりを旗頭に
「これからの益子を考える連絡会」という団体が作られました。
この団体がサーキット場建設の反対運動を行い、阻止することができました。
このときは、トンボの生息地など自然環境調査が微力ながら役に立ちました。
【小さな運動が大きな波紋となって】
90年代後半から高館山のブナの調査を行いました。
あまり知られていませんが低い標高の高館山に寒冷地種のブナが29本残っています。
ブナの低山地残存分布として特異な地域で、暖地性種シイと分布が重なるとても貴重な自然環境です。
高館山の頂上から経ケ坂まで尾根道が通っているのですが、
そこの道幅を拡張して観光バスが通る道にしようという計画が持ち上がりました。
もし尾根道が拡張されるとブナが切られてしまうので、計画の中止を訴えました。
この計画をきっかけに、高館山の調査を本格的に行うことになったんですが、
とても楽しい活動になりました。
栃木県立博物館や県庁の自然環境課が僕たちにすごく好意的に協力してくれて、
研究者や専門家も交えて、道路の拡張計画地を含む地域の植生調査をやることができたのです。
ものすごい成果があって、高館山北斜面の一部は県の「県立自然公園第一種特別地域」に
格上げになりました。栃木県で2カ所しか指定がされていない素晴らしい環境なんです。
指定地域になって、現在では高館山の北斜面は厳しい規制が行われているので、
もう開発計画は入らないと思っています。
僕たちはブナを守るために高館山に入って、一生懸命植生を調べました。
いろいろな植物があることがどんどんわかって、
高館山の自然は非常におもしろいという調査結果を得ることができました。
その成果は、植生に関する学者さんたちのいくつかの報告書や論文にまとめられていますので、
機会があれば是非読んでいただきたいと思います。
【問題に正面から向き合う】
僕は今、栃木県全域を対象とした「原発いらない栃木の会」というのがあって、
そのなかの放射線計測活動のグループに参加しています。
みんなで共同でお金を出し合って、町役場にあるのと同じ堀場製作所の放射線計測器を購入して、
継続して自分たちの生活範囲のデータを計測していこうという活動をしているんですよ。
ただ、素人がやっていることなので、そのデータを使って裁判を起こすことはできないだろうけど、
概要を知るためには、十分役に立っていて、それで民間の立場から
益子の放射能汚染の状況はだいたいわかってきています。
僕はそれぞれの生産に関連した物や、それぞれの周りの環境がどうなっているのかということを
ある程度客観的に冷静に知っておくべきだと思います。
どういう数値が出ているのか、しっかり調べておく必要がある。
何かのときに対処ができるようにしておかないと。
周囲から指摘されて、「これから調べます」ではダメだと思っています。
皆さんも大騒ぎする必要はないけれど、自分の環境の汚染の度合いはどういう状況か、
自分の作るものがどれだけ影響を受けるのか、それは気が重い仕事だけど、
冷静に知っておくべきだと思う。
そういう対処をしておいたほうがいいと思う。逃げないで、正面から向き合って欲しい。
県の施設(産業技術センター)などを利用して、身の回りのデータを調べておくべきだと僕は思います。
(つづく)