土祭とは

ここでは、土祭の始まりのことや、今回の土祭で私たちが大切に考えていきたいことをお伝えします。長い文章になりますが、どうぞ最後までおつきあいください。

土祭2015の主題

この土地で生きることの祭 先人から引き継ぐ風土が人を育み、人のいとなみがまた、新しい風土をつくる。益子の風、水、土、そして生をわかちあい、生きることの深みを増し、未来につなぐ。

土祭のはじまり

最初の土祭

2009年9月に開催した第1回目の土祭は、2005年(平成18年度)に作られた「ましこ再生計画」にもとづいて企画されました。総合プロデュースをお願いした故・馬場浩史さん(当時益子町道祖土在住・starnet主宰)によって「窯業と農業の町として、足元の土を<命を循環させるすべての原点>として捉え直し、感謝をし、そこから新しい暮らしのあり方を見出していこう」という主題が明確になり、実行委員長である大塚町長と馬場浩史さんの「見立て」により、旧市街地を会場にして、作品の展示やセミナー、ワークショップで製作した土舞台での演奏会と夕焼けバーなどを開催しました。企画運営においては町職員と町民との協働の体制を組みました。

土と月のこと

風土に根ざした新しい祭を行うにあたり、馬場浩史さんと旧知の文筆家・武田好史さんとの発案で、古代の土や泥の呼び方のひとつ「ヒジ・ヒヂ」を用いて「土祭/ヒジサイ」という名が生まれました。会期は、新しい始まりの象徴「新月」から、すべてが静かに満ちる「満月」までとしています。月の満ち欠けをもとに祭事や農業を行い暮らしを営んだ時代の、人々の知恵と暮らしの豊かさにもう一度思いをはせるために。

2回目の土祭

3年後の2012年、第2回目の土祭では、中世からの神社などの歴史遺産が多く残る上大羽地区を会場に加え、「益子の風土、先人の知恵に感謝し、この町で暮らす幸せと意味をわかちあい、未来につなぐ」という土祭の主題に沿って展示やイベントを行いました。
これまでの土祭については、こちらをごらんください。
土祭2009アーカイブ土祭2012アーカイブ

新しい土祭

3回目の土祭

これまで総合プロデューサーをお願いしてきた馬場浩史さんが2013年夏に他界され、私たちは大きな柱を失いました。今回は、新たなプロデューサーを迎えるのではなく、いくつかの分野で専門家の方たちの協力を得ながら、町民とともに土祭を作り上げていくこととしました。2014年7月より、企画検討のためのワーキンググループや地域リーダーとして14名の町民の方に参加をいただき、益子町観光商工課の土祭事務局とともに、「企画運営委員会」を立ち上げました。
組織については、こちらをご覧ください。
土祭2015チームメンバー

「地方創生」益子土祭方式

これまではプロデューサーの益子という土地への視点や風土観に頼りながら作ってきた土祭を、その幹の部分はしっかりと受け継ぎながら、町民の祭りとして根を張り、枝葉を広げていこうと、自分たちの足下の風土をあらためて掘り起こし、知り、共有し、それを活かしていく「しくみ」を作りました。2014年6月にスタートさせた「益子の風土・風景を読み解くプロジェクト」です。これは、地域の風土を、地理学・生態学・民俗学・社会学などを合わせて総合的に調査し、その成果に基づいて土祭2015を構想するために環境デザイナーの廣瀬俊介氏を土祭風土形成ディレクターとして迎え、事務局や地域の方々と協働で取り組むものです。6月からまず益子全体の風土調査を、10月からは町内を13地区にわけ、地区ごとに、踏査、住民の方々への聞き取り、文献調査などを行いました。その成果を2時間弱のスライドにまとめ、その発表報告と、それをもとにした地域の方々との意見交換・情報交換の場として、それぞれの地区の公民館で「風土・風景を読み解くつどい」を開催してきました。この成果は、まず、土祭の企画や表現の「基礎」とし、さらには今後の町づくり・地域づくりへと繋いでいきます。この「しくみ」は結果的に、国策としての「地方創生」が叫ばれる中、その方法論としての意義も有するものであり、全国に向けて「益子土祭方式」とも称せる提案にできないかとも考えています。
このプロジェクトの詳細については、こちらをご覧ください。
益子の風土・風景を読み解くヒジサイブログ

益子という土地のこと

このプロジェクトにおいて地域の方々と細やかに読み解きをしながら浮き彫りになってきた、私たちが暮らす土地がもついくつかの「表情」を、土祭の開催にあたり、みなさまへお伝えしておきたいと思います。

人の営みが古代より重ねられてきた土地

益子町では、縄文・弥生期の住居跡も残り、24もの古墳群が発見されています。先人たちの意思と努力によって中世の寺社も数多く残され、近世の古図に描かれた道やその他の遺跡が残り、また一度廃された寺社や祭礼の再生が図られた事例がいくつもあるなど、人の暮らしの営みが綿々と重ねられてきています。

広大な平野が終わり、北へ連なる山々が始まる土地

関東平野の北東の端、八溝山地の南端に位置し、北と南の植生がまざりあう稀有な山、高館山を有しています。人にとってもまた、特に移住者・濱田庄司の成功以降、外から益子に移り住んでくる人と土地の人が境界なく混ざり合う土地柄でもあります。

土地と人の心や生業の結びつきが色濃くにじむ土地

土に向きあう農業と窯業の町として、手仕事の人が多く暮らす町として、自然・風土が人の心や創作を育み、人の営みがまた新しい風土を形成し、その関係性が豊かな土地です。

「民藝運動」の拠点となった土地

平成の今、益子で民藝を考えるならば、新しい価値を見出す「運動」として捉えたい。これは実行委員長である大塚町長の言葉ですが、農家の方々や陶芸家・販売店のみなさんなど、個々人や地域での取り組みにも活気があり、まさに「足元から新しい価値を見出す運動」としての民藝の本質、その精神性を今なお「気風」として持ち続けている土地柄です。

「風土」を大切に考える理由

そして、なぜ私たちが土祭を通して風土との関わりをあらためて大切にしようとしているのか、その詳しい解説は、8月20日発行予定の『土祭という旅へ 土祭2015公式ガイドブック』に掲載する廣瀬ディレクターの寄稿「コウホネをめぐる旅 風土を育むいとなみとしての土祭」をお読みいただきたいところですが、その一部を先行してここにご紹介します。

ここで「風土とは何か」を確認するために、和辻哲郎の風土論等を参考としつつ神道の研究者であり実践者である薗田稔が記述した文章を引く。「風土は(中略)自然条件にたいして人間が生業を通して働きかけた結果である。人間が何世代もかけて風土を仕立て、その風土がまた人間を育て上げる」。

毎年行われる祭礼は、信仰を通して結ばれる自然と人、人と人の地縁をなお結び続けるために機能してきたと考えられる。(中略)このような祭礼の本質の理解の上に、最も小さな地縁社会、地区単位で行われるそれら宗教行事の枠を超えて、益子町全体で「風土を引き継ぎ、この土地なりの豊かさを増して次代に受け渡す」ために、三年ごとに繰り返し行う「新しい祭り」として企画されたのが、土祭である。

引用文にある「風土とは何か」をふまえて、私たちは土祭2015を構想しています。この、風土の定義にもとづいて先に挙げた、この土地の「顔」とも言える特徴を振り返ってみると、益子は人間が風土との関係を綿々と保ってきた土地の一つだと言えると考えています。

私たちはこのような土地で、同じ時代に、いくつかの偶然と必然のもとに、ともに暮らしています。関東平野の北東端に位置する「緑の輪郭をもった島」*のような土地で。
土祭で、この土地を訪ねてくださるあなたに、この土地の上に立ち、伝えたいことがたくさんあります。「この土地」とは、きっと「あなたの土地」のことでもあり、「これからの土地」のことでもあると思うのです。

この土地で生きることは、継ぐこと、識ること、澄ますこと、照らすこと、結ぶこと。

この5つの動詞にそって、土祭2015はさまざまなプログラムを展開します。詳しい内容は、まず、開催概要を。そして、プログラムのページをご覧ください。

土祭という場で、「この土地で生きること」をみなさまとわかちあえたらと思います。新月から、月が満ちてゆく満月までの日々の間に、初秋の益子町でお会いしましょう。

(益子町観光商工課 土祭事務局 文責・簑田理香)

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