試論「益子の風土形成のこれからについて」-ディレクターより、お礼のご挨拶にかえて

昨年末まで土祭2015風土形成ディレクターをつとめておりました、廣瀬です。 今回、このブログへの投稿の機会をいただきました。

私の仕事は、「益子の風土・風景を読み解くプロジェクト」を通して、当地にお住まいの方々と「この土地に生きることの祭り」の「この土地」の理解を、風土の調査を中心に進めてゆくこと、そしてその上に「祭り」、土祭2015を構想いただくことでした。

私は、環境デザインを研究、実践する者です。それを地域の風土に則して行うことが、近代米・欧で確立された環境デザインの日本的受容、応用としてふさわしいと考えるようになり、生態学、地理学、社会学、民俗学、歴史学、宗教学、哲学などを合わせて風土とはなにかを考え、地域の風土を調べる方法を模索してきました。土祭2015では、その技術の提供を求められ、かえって益子をよく知るたくさんの方々に教えていただきながら、自身の風土理解が進んだように思っています。

そうした私なりに、土祭2015への参加をふまえて「益子の風土に今も残るよい面はこう引き継ぎ、失われつつあるよい面はこう回復を図り、それらの可能性をこう引き出してゆくとよいのではないか」といった考えが少しずつ浮かんできました。それを報告書のあとがきにかえて、益子の方々へお伝えしたいと論考を試みています。

このウェブサイトの「益子の風土・風景を読み解く」ページ上で、「益子の風土・風景を読み解くプロジェクト」報告書はすべてご覧いただけます。しかしながら、ブログ読者のみなさまへのごあいさつの意味も込めて、報告書終章に含めた拙稿「試論『益子の風土形成のこれからについて』-あとがきにかえて」を、ここに掲載させていただきたいと思います。

風土と環境デザインにかかわる研究者兼技術者の冥利につきる、またとない機会を与えていただき、みなさまと土祭で、あるいはこのウェブサイト、ブログを通して心の交遊ができましたことに心から感謝いたします。

ありがとうございました。

 益子の風土形成のこれからは、本書第3章に示す課題の研究をはじめ、「益子の風土・風景を読み解くプロジェクト」ひいては土祭を続けながら考えてゆけるでしょう。しかしながら、今回の風土研究を通して筆者が得た発想もあります。それを試みに記してみます。

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図1 小貝川は益子から八溝山地を抜けて関東平野へ (真岡市の側から益子町を見る) 、『土祭読本』3頁

 

 益子の風土は、関東平野と八溝山地が出会うこの土地で、農業と窯業をなりわいの中心として人々が町を成り立たせながら、かたちづくられてきました (図1) 。そして、江戸に幕府が置かれて以来、400年あまりにわたって首都の郊外縁辺にこの土地が位置することも手伝い、益子の風土は今に引き継がれ、それがあって人々に好んで訪れられ、移り住まれるなどしていると見なせます。これらのことどもが「環(わ)」をなしながら、益子の風土は形成されてきました。

 濱田庄司は、それを体現していたといえます。益子焼がはじめられていたほかに、その位置や人々の暮らし方があって生まれる風土に惹かれて益子に住み、民衆的工芸に学びつつ、土と火のほかに芦沼石の粉や雑木の灰や稲の籾殻の灰そのほかを駆使して新しい技術を工夫し、益子焼きを前進させます。雑木や籾殻は、農業と関係して手に入れ続けられるものです。上に「環」とあらわしたのは、このようにことやものが巡っているがゆえです。濱田の工芸村構想には、土地の自然物を循環利用しながら文化を深耕し暮らしを立てる、人々の「環」を束ねあわせるように関係づけて、多少のほころびが生じてもすぐに誰かがそれを縫いとめることができる可能性が含まれていたと、筆者には思われます。

 そして、濱田庄司の実践においてさまざまな自然物や農作物があつかわれたように、まわりに山があり、山からは川が流れ、田畑があり、町があって、だから山仕事があり、川の水を人々がさまざまにつかい、田畑の仕事があり、町で商いが行われるなどして、工芸村も成り立ちます。そのことで、道具や衣類をつくる手仕事という仕事もまた町に生まれ、町に暮らす人々は道具や衣類を身近に得られることになります。食べ物や燃料ともども、暮らしに要るものが身近に自給できることになり、灰や余った食べ物などは、ことやものが巡るなかに還されます。こうした自然と人間のかかわりの「環」は、今日、地球規模でめざされている持続社会の必須条件でもあります。「工芸村」は、その地域的な目標像として、今日的に評価できます。

 「やわらかい風景」という一文を、筆者は『土祭という旅へ』へ寄せています。なだらかな地形変化やそれを覆う雑木、ふだんはゆるゆると流れる川や水路の水、暮らしに関係して山や丘のすそから引き下ろされたかのような木々に家々が見え隠れするさまなどを指して、筆者は益子の風景を「やわらかい」と形容してみています。それを、今もう一度考えてみると、人々の暮らしや、それぞれのなりわいにおける創意のあと、考えたことや考えて体を動かしたあとが風景から感じとれるようなところが、風景に「人間性」がそなわって見えることにつながり、そのこともあって「やわらかい風景」があらわれていると思えてきます (図2)。

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図2 益子の「やわらかい風景」、その一例 (道祖土にて描く) 、『土祭2015公式ガイドブック』40-41頁

 

 ただし、益子の風景にそなわる「人間性」は、人々が当地で生きる条件でもある自然に基本的に則しつつ、時には濱田のように先鋭的に接しもしてきた、人間による自然へのさまざまな応答の結果と見なすことができます。このような自然への人間のはたらきかけがあって風土が形成され、その姿である風景は益子の地なりの「人間化」を遂げてきたといえます。それは、たとえば南東に「水晶」の頂を持つ低山の群を擁し、ひときわ高い雨巻山がその名の通り雲をとどまらせるなどしながら梅雨の少雨をみちびき、とりわけ稲作をむずかしくし、一方で山々の頂からはこばれるケイ素は稲を強くして、稲の籾殻灰が窯業にも次の年の農業にもつかえ、といった自然と人間との関係があっての「人間化」です。

 こうした益子の風景、風土にそなわる「人間性」は、益子の風土形成の内実と目せます。したがって、益子風景、風土の「人間性」の理解が、益子の風土形成のこれから、すなわち風土に学びながら地の理(ことわり)を生かした持続する地域社会の構築をめざしてゆくことの必須条件と考えられます。そして、風土を形成する主体は町に暮らす人々であり、人々の結びつきと自然との「環」が、風土を先代から引き継ぎ次代へ受け渡す原動力のようにはたらいてきました。だから、「益子の風土・風景を読み解くプロジェクト」でおこなわれてきた、聞き取りやつどいを介した町民共同の風土研究がつづけられ、その成果をもとに町として益子がめざす市民共同の地域経営の目標像 (図3) が見さだめられ、その実現に向けた方針が立てられ、それらにもとづく事業計画が、地域行政、企業活動、市民活動の別を問わずつくられ実行される必要があります。この土地で生きる知を受け渡す教育にも、結びつけられるべきと考えます。

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図3 古川町 (現岐阜県飛騨市) における第五次総合計画目標「朝霧たつ都」とこれにもとづく農村環境デザイン政策を紹介したドイツ、エッセン大学環境デザイン学科講演ポスター、2003年。講演は筆者による。「朝霧たつ都」は、当地の高校地学部が研究を20年継続するなど町民に身近な朝霧 (盆地霧) の発生を指標に町域の良好な水循環をたもち、自然と雅びな飛騨の町並みや農村の風景の共存を、次代、未来に継承されるべき風土の理想像とし、地域経営の資本と位置づけたもの。

 

 なお、風土研究からわかったことをもとに地域経営の目標像を実現するための、かたちのない仕組みやかたちのある建物などをつくる技術を、日本の多くの技術者が持ちあわせていないことを、念頭におく必要もあります。彼らに確たる地域研究がおこなえず、それだけの成果にもとづく計画をした経験がないことが理由の一つといえます。また、思考の技術が未発達で、即物的で安易な課題解決策しか立てられない例が多いことを問題視しています。たとえば、建物をたてるのに山のかたちや城郭のかたちを模したり、どのような生活知の結果として古くから残る家屋のかたちや色や材料がそう選ばれたかを自然科学的にも人文科学的にも理解できずに写すようなことは、地域的デザインといえません。あるいは、地域研究の成果を十分に共有せずに利害関係者間の合意形成を図っても、それが当地の自然や文化に照らして合理的といえるものになるかどうかは、偶然にゆだねることにしかなりません。同様に、かたちの有無を問わず、ほかの土地でうまくいったからとなにかをまねるだけまねたとして、成功は偶然の産物でしかないでしょう。さらに、そのように「地域的に」検討した結果がつまらないものにしかならないからと、前衛風に新しいなにかを発想しようとしても、自然と人間の歴史を参照しないそれは、個人の恣意的で貧弱な思いつきにしかならないのではないかと想像されます。

 益子の風土形成のこれからにおいて懸念される問題も、示しておきます。少雨と地質・地形に由来する、水資源の利用管理面に、筆者は不安を覚えます。小貝川をのぞいて、益子を流れる川は水源を町域に有し、水を集める範囲は限られます。南東の山々の頂を「水晶」とあらわしましたが、水晶と同じ二酸化ケイ素からなるチャート層のほかは主に砂岩と泥岩からなり、その裂け目に水がしみやすく、これらの岩を覆う木々の葉が落ちて分解された腐葉土の層、表土に水が薄い膜のようにつたわりながら丘や低地へとくだり、斜面の途中や下にしみだしたものを、人々はため池やてびに受けて、大切にもちいてきました (図4) 。ことに七井では、七つの井(水の湧くところ)が地名とされているほどです (図5) 。

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図4 棚田のあとにつくった畑の地表に浮きでたしぼり水 (田野) 、『土祭2015公式ガイドブック』48頁

 

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図5 七つの井のひとつ「瀧の井」 (七井) 、同書 49頁

 

 このように、山や丘の保水力にたよることが、益子の水利用の基本となります。そして、益子の山や丘の、鎮守の杜のようにほとんど人手を入れずに守られてきたところはそのまま守り、人の手が入れられたところは木々の利用を図りながらすこやかに保ついとなみが求められます。「工芸村」のような考え方は、このことにも適しています。

 一方、ため池やてびに受けられたしぼり水は、水路や川へ流されながらこれらの岸や底から地中へしみ、低地の地下水をやしなってきました。地下水は、井戸水として利用もされました。ところが、全体に「やわらかい風景」をかたちづくって見える益子でも、川や水路の岸や底は多くがコンクリートをつかってかためられ、地中への自然な水の動きがはばまれています (図6) 。また、そうした川や水路は植物や微生物が育つ環境になく、水の生物浄化がおこなわれない状態にあります。それとともに、乏しい水の水質は、生活雑排水や産業排水の川への混入によってあまりよくありません。

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図6 道祖土川では、泥岩の河床はそのままに、護岸をコンクリートでかためている (道祖土) 。同書 42頁

 

 仮に、この問題の解決を図ってゆくとします。土祭への公共投資の一環として「益子の風土・風景を読み解くプロジェクト」が実行され、その成果として益子の風土性が明らかにされてきています。ひとつには、益子の風土は、当地の自然と人間の関係史の結果として「やわらかい風景」を擁するにいたっています。そのような土地と風景の印象は、土祭の来訪者の声などを確かめた結果からもわかる通り、魅力要素となっています。しかし、川や水路などの水辺は、上に述べたように益子風景の弱点であると思います。そして、その水質も問題であり、さらには水資源利用管理の脆弱性がより大きな問題として根本に横たわっています。

 これらの解決を図るために、生活雑排水や産業排水の混入を防ぐ努力を、これまでにも増しておこないます。山や丘の保水力を高めるために、人手のかけられた樹林の利用管理を徹底します。いずれの施策も個別には実現がむずかしく、風土に根ざした益子の地域経営の目標像があらかじめ町民と検討、合意されているとともに、「工芸村」のような文化と産業をともに振興し雇用も生む具体的方針が、その下に位置づけられている必要があります。

 それらが実現できたとして、水がかがやき、山や丘はすこやかに見えるようになるでしょう。「やわらかい風景」もまた、かがやきを増して見えるようになることと思います。さて、それでも川や水路の岸や底をつくりかえねば、植物や微生物が育つ、生物浄化の期待できる環境にはなりません。これは、ため池などにも同じくいえることです。解決策は、すでに益子の各所に見あたります。身近に得られる石を積んだ護岸が残る水路 (図7) や家の庭の池がありますし、聞き取りでは山のそだを編んで柵をつくることを益子でもしたとうかがっています。石垣は木の根などにおされて崩れることもあり、そだ編柵 (図8) はそだをときどき取りかえる必要があります。そうした日常の補修や管理が、公益性の高い雇用に結びつけられます。そだの交換は、人手の入れられた山や丘の木々をつかい、山や丘の保水力を維持する仕事にもなります (図9) 。

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図7 芦沼石を積んで護岸をもうけたと見られる水路 (大沢)

 

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図8 そだ編柵を護岸にもちいた割石川 (新潟県新発田市)

 

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図9 そだを採るために管理される山林 (新潟県新発田市)

 

 ため池もてびのある田も、川も水路も、七つの井も、さらには生物がどれだけもどってくるか試験観察がつづけられる蟹澤の井の下の休耕田なども、いってみれば「益子の水辺」です。これらが上に例を挙げたような自然に近しい、そして伝統の継承にもあたる工法をもちいてつくりかえられると、植物や微生物が育ち生物浄化が期待できる以上に、およそどの地区の「風土・風景を読み解くつどい」でも集まられた方々がなつかしげに子どものころの思い出話をされていた魚や水生昆虫などがふたたび棲める環境が回復できます (図10) 。

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図10 近代的な水路然とした百目鬼川の現状 (「百目鬼川をきれいにする会」活動より。2014/07/06 城内・道祖土)

 

 このように生き生きとした水辺が「やわらかい風景」にくわわることは、益子の次代をになう子どもたちが育つにも、大人たちが折々に昔をなつかしむにも、益子や土祭が好きで訪れられる方々が散策をされるにも向くと考えられます (図11) 。あるいは、益子の外から子どもたちが訪れて滞在し、遊び、学ぶにも向くのではないでしょうか (図12) 。そう考えれば、こうした環境の再生は地域経営における、いわゆる「外貨獲得」にも結びつけてゆけます。そして、もとはといえばこの発想は、水資源の利用管理に対する不安要因の解消を目的として得たものです。益子の風土と人に「環」を見いだしたことから、筆者はこう考えるにいたったと思い返しています。

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図11 民・産・官で清流を再生した源兵衛川 (静岡県三島市)

 

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図12 「土祭風景遠足」で訪れた桜の井 (2015/09/22 七井) 写真提供: 土祭事務局

 

 益子の風土のこれからに関した試論は、ここで書き終えることにします。最後に、益子を幾度も案内してくださった方々、ご研究の成果を惜しみなく伝えてくださった方々、聞き取りに際してご自宅に招き入れてくわしくお話を聴かせてくださった方々、貴重な資料をご提供くださった方々、こちらがお話をうかがうべき方をご紹介してくださった方々、主催される行事にお誘いくださった方々、風土・風景を読み解くつどいやその報告会にご参加くださった方々、そしてお世話になった土祭事務局と土祭実行委員会および益子町役場のみなさまに感謝の意を表したいと思います。ありがとうございました。

(土祭2015風土形成ディレクター 廣瀬俊介)

土祭2015アルバム|まちなか映画館 太平座

のれんをくぐると、まちのなかの小さな映画館。

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……
企画概要

かつて益子にあり「映画を見に行く」という行為を通して
町の社交場ともなっていた「まちなかの映画館」を会期中に旧市街地に出現させ、
さまざまな映画・映像作品を見て「識る」場、そして、町内外の人の交流を「結ぶ」場をつくる。
……
この文は、土祭2015「個別企画09 まちなか映画館 太平座 企画書」からの抜粋です。
今回のアルバムでは、構想、準備、そして会期中の様子を振り返ります。

 *うまれたわけ

2014年の6月から、町内各地で風土・風景を読み解くプロジェクトの聞き取りを進めると、年配のみなさんが目を輝かせて、語ってくださることの共通項がみえてきました。「昔の川には、こんな魚や生き物がいた!」ということと「近所で旅回りの一座の芝居や映画を観に行く場所があって、そこにいくと親戚も友達も集まっていて…」という思い出です。
興行師が木戸銭をとり映画を掛ける家があったこと(上大羽地区)、農村歌舞伎舞台を力をあわせてつくり旅回りの一座を呼んでいたこと(山本地区)、歩いて行けるまちなかに仮説や常設の映画館があったこと(七井・田町地区)…、娯楽もテレビもない時代、多くの人がひとつところに集い、観て笑って語り合う時間を共有する日々の記憶。
土祭では、演奏会と夕焼けバーを開く「土祭広場」を、そのような集いの場と考えていますが、3回目の土祭では、映画をまんなかにおいて人や地域を「結ぶ」場も作れないか?という発想から始まったのが、<土祭の会期中に、人が集まる「まちなかの映画館」を創出する>というプロジェクトでした。

*土祭から生まれたヒジノワを会場に

新月から満月の間だけ出現する映画館をどこにつくるか。
それはどちらかというと、今振り返ると「会場の方から呼ばれた」ようにも思います。初回、2回目の「作品の展示会場」となった、ヒジノワ。今回は「アートの展示ではない」と早くから考えていました。ふたたび、企画書から抜粋します。

……
会場選定の意図

2009年の土祭で、築100年の空き家を改修し、その後、有志メンバーが「また空き家に戻すのはもったいない、人が集う場として活用したい」と、ボランティアで企画運営している「ヒジノワ」。一度空き家になって再び「集う場」になった(しかしこの1年は中心メンバーも多忙につき活動が停滞気味になっている)空間に、時代の流れとともに消失した「集う場」を土祭の会期中に作り出すことで、また新しい動きへと繋げたい。
……

*企画興行師は、町の人々を中心に

上映する映画を誰が決め、どんな演出や場作りをするか、それはもちろん町の方たちの力で楽しみながら(忙しい思いで苦しみながら?)進めていきましょう、と、これまでに映画の自主上映会を企画した方、自主制作で映画制作を進めている方、祭の記録を撮っている方やその映像化を考えている方などを中心に企画者となっていただき、16日間の組み立てを行っていきました。

企画興行師のみなさんや上映作品のラインナップ、
関連するトークのゲストなどの紹介は →こちらで

また、初夏の頃には、企画にお名前を借りた、50年前に閉館した「太平座」で映写技師をしていた方や経営者のご家族の方などからお話を伺う場ももうけました。

中学卒業後に太平座で働き始め、国家資格をとり映写技師として益子と近辺の町で
「映画で集う場」を作り続けてきた石原賢さん。
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企画興行師チームで都合のつく方10名でヒジノワに集まり、当時の館内の雰囲気や技術的なことなど貴重なお話をたくさんうかがいました。その内容は、ガイドブック『土祭という旅へ』のコラムでもご紹介しています。
 
経営者のご家族宅の倉庫の柳行李の中には開館当時のポスターがたくさん!
一部をお借りし裏打ちして上映室の壁に展示しました。(写真は会期中の様子)
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*会期中のご報告〜アフタートークを大切に

まちのなかの小さな映画館としては、映画を観た後に制作者のお話を聞いたり、お茶をしながら友人と感想を語り合える時間を大切にしたい。各企画チームのみなさんは、監督をお呼びしてのアフタートークや対談、テーマに即した座談やトークセッション、それからヒジノワカフェにゲスト出店を招いての連動企画など、趣向をこらしました。

『ASAHIZA 人間は、どこへ行く』藤井光監督を招いてのアフタートーク。
映画を見てお話を聞くことでさらに広がり深まる思いがありました。聞き手は小野悦子さん。
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『渦潮』『渦汐』川本直人監督と座談。聞き手は『ハトを、飛ばす』の町田泰彦さん
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映画企画と連動してカフェ出店の道食堂121チームは、東北芸工大田賀陽介研究室。
大学のある山形は益子と国道121で繋がっています。その沿線の食材で丁寧に作り込まれたメニューは大好評でした。
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インドの寺院で500年も続く「毎日10万食のカレーを誰に対しても無料で提供」する食堂を描いた『聖なる食卓』。上映時には、主催者のみなさんもターバン姿でカレーランチを提供。
(「無料ですか?」というツッコミもあったとかなかったとか)
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ドイツの出版社を追うドキュメント『世界でいちばん美しい本をつくる男 シュタイデルとの旅』を企画上映してくださったチームは、上映後に「映画のある場所 本のある場所」をテーマに来場のみなさんと一体となったトークショーを。右から編集者の南陀楼綾繁さん、益子ハナメガネ商会のマスダモモエさん、コミュニティシネマセンター事務局長の岩崎ゆう子さん。

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まちなか映画館の企画は、ヒジノワを飛び出して夜の土舞台でも。26日の土祭広場「子どもの日」企画で、新町☆組が制作した「益子祇園祭」と、川本監督が町内の子どもたちとワークショップで制作したシネカリグラフィー作品が、地層の壁のスクリーンに!
3回目の土祭での初めての試みを、広場に集った町内外のみんなで楽しみました。
祭り映像

1回目の土祭で生まれたヒジノワが、映画や本や食を通して、ふたたび「結ぶ」場になった「まちなか映画館」。16日間の短い開館でしたが、いくつかの種があらたに蒔かれた場でもありました。関わったみなさんやご来場いただいたみなさんが、これからの日々でつくる、さまざまな「場」が、健やかな「結び」を生んで行くことと思います。

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(事務局 簑田|撮影 長田朋子 矢野津々美 簑田理香)

土祭2015アルバム|益子手仕事村

[この土地で生きることの祭り「継ぐ」城内エリア]

「益子手仕事村」陶芸メッセ・益子内 芝生広場(城内)

「益子手仕事村」は、陶芸メッセ・益子エリア内にあるゆったりとくつろげる芝生広場で、益子や近隣地域の竹林から間伐を兼ねて切り出し製作した竹テントに、たくさんの手仕事が並びました。出店した方々は地域の作家や農業者、益子で育ち町外で独立した方等、益子に深い縁のある方々になりました。土祭期間中、日替わりで62組の出展者と19種類ののワークショップを行いったその様子をお伝えいたします。

《手仕事村の様子》
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《農産物やパンなどの加工品》
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《「ファクトリー順」津守優子さんによる手描きTシャツワークショップ》
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《「手布土」による糸紡ぎとフレーム織りのワークショップ》
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《「吉川園芸」さんによるコケ玉作りのワークショップ》_DSC8346_ANO9925

《「ひょうたんの灯りルーム」による瓢箪を使ったランプのワークショップ》
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《益子町大沢在住の浦壁進さんによる草履と健康草履の編み方教室》_ANO9884

《益子町大沢地区に拠点を置く「トチギ環境未来基地」による木工クラフトワークショップ》_DSC8318

《染色家の滝澤ゆう子さんと益子自然育児の会おむすびの里による藍染ワークショプ》_ANO0017_ANO0081_DSC8413

《益子町の田野地区の仁平さん、大沢地区の浦壁さん、七井地区の保園さんと、隣町の茂木町から矢野さん達による蛍籠作り教室》_DSC8368_DSC8375

農作物を育てる方、植物を育てる方、料理を作る方、染色家、木工家、陶芸家、竹細工の職人、布と染色の作家、鉄の作家等の多くの作り手と、益子の町で長年培われてきた木綿、藁草履、蛍籠の技術などを持つ作り手が集まり出会いのとなりました。まだまだ、益子に関わる方々の手仕事の知恵と技術は隠れていると思います。手仕事が暮らしに結びつく土地として、多くの方が結びつくような場のきっかとなれればと思います。

 

益子手仕事村、会期中のブログはこちらから

(事務局 萩原|写真 長田朋子 矢野津々美)

土祭2015アルバム|夕焼けバー ・ 土祭駄菓子

[この土地で生きることの祭り「結ぶ」城内エリア]
「夕焼けバー • 土祭駄菓子」土祭広場(城内)
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土祭2015での新たな試み、夕焼けバーの「子どもの日」に、益子で採れたものを使った駄菓子を来場していただいた子供達に提供しました。この企画は多くの益子の方々から言葉をいただき立ち上がったものです。そのきっかけは、2014年9月から行ってきた「風土・風景を読み解くつどい」の聞き取りの中で、「祭なんだから子供が興味をもつもの楽しめるものがないとね。」と町民の方から話をいただいたことです。そこで益子の食材を使った化学調味料や、化学的な着色料を使わない、この土地の風土に沿ったお菓子を子供達へ作ろうということから始まりました。駄菓子屋になって駄菓子作りをしたのは、益子町民の方々。陶芸家、陶器店の方、大工、調理師、益子町職員等、沢山の方々が協力して作りました。お店のしつらえ、駄菓子屋のノボリも、お揃いのたたき染めの手ぬぐいも全て手作りで作り、試作を重ね「子どもの日」当日には、益子のお菓子を提供をすることができました。

〈提供した駄菓子〉
薬師堂の焼き饅頭
田野地区、東田井 の高松靖子さんから教えていただいた焼き饅頭のレシピです。高松さんの裏山には薬師堂があります。その焼き饅頭は年に1回、薬師堂の祭典の際に、お供えする餡子の入った小さい大判焼きのようなお饅頭です。饅頭の銅でできた型は、200年以上は使い続け ているものでした。作り方を駄菓子屋メンバーが2015年の薬師堂の祭典の際に高松さんから教わり、「こどもの日」では餡子と、きんぴらを入れた焼き饅頭2種類を 提供しました。

薄羽さんのさつまいもの蒸しパン
大沢地区在住の薄羽仁太郎さんから話を伺いました。戦中、戦後に、食料が乏しい頃、水っぽくぶよぶよしたサツマ芋を、美味しく食べるために考えられた蒸しパンです。薄羽さんからは水っぽいサツマ芋が甘くおいしくなったという話を伺い、試作を重ね「こどもの日」に提供しました。

益子の果物のかき氷
果物の産地でもある益子町、ブルーベリー、苺、ラフランス、桃やウメ等の果物をシンプルに砂糖を加えたシロップをかけたかき氷。

きな粉飴
益子の農家さんに譲っていただいた、益子産の手作りきな粉と、駄菓子屋土祭メンバーで手作りした米飴を使用した、きな粉飴。

そばかりんとう
そばの産地でもある益子町のそば粉と、益子産の菜種油を使用したかりんとう。

小麦を薄く焼いてジャムを塗った菓子 (益子産の小麦粉を使ったクレープ)
小麦粉も豊富に栽培をしている益子町の粉と、益子産の果物を使ったクレープ。
クレープのようなものを、囲炉裏で焙烙で焼いて当時は食べていたということでした。

ぶどう飴
お祭りで定番のりんご飴を、土祭では、ましこ産の葡萄を使った、無着色、無添加の葡萄飴を提供しました

益子米のポン菓子
七井地区の鈴木そば製粉所の鈴木幸一 さんよりお借りしたポン菓子機を使って、益子産のお米をカラメル味のポン菓子にしました。会場には、大きなドーンッという音が鳴り響きました。

それでは当日の様子を御紹介します。
駄菓子屋には、お母さんを連れた子供達で行列も出来ました。

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この土地のものを使ったシンプルな材料により豊かな駄菓子が出来ました。
身近な作物で、子供達へお菓子を作るということは、身近にこの土地のことを知り考えを巡らせることに繋がったと思います。この土地で穫れる作物を使 い、作り考え、身近な人と楽しく食べることは、とてもシンプルで多くの豊かさと知恵が生まれていく時間であったと思います。この駄菓子の企画がきっかけに少しでも多くの方々にこの土地に触れるきっかけになることになれればと思います。

 

 

〈駄菓子屋・メンバー〉
松永レミ、小杉聖子、小山博子、大塚ゆかり、小堀聡美、伊藤綾乃、雨宮知恵子、磯部なおみ、郡司慶子、宿谷想、岡本芳久、那花夕子、高瀬一枝、日高麗

〈ポン菓子機協力〉
鈴木幸一

土祭駄菓子これまでのブログ
・2015年6月13日 http://hijisai.jp/blog/musubu/musubu4/
・2015年8月21日 http://hijisai.jp/blog/musubu/4552/

 

(事務局 萩原|写真 長田朋子 矢野津々美)

土祭2015アルバム|土祭食堂

[この土地で生きることの祭り「結ぶ」道祖土エリア]
「益子の食・土祭食堂」元KENMOKU cafe(道祖土)

土祭会期中、9月13日から28日までの全日、道祖土の見目陶苑・元KENMOKUcafeを会場に、「土祭食堂」が開店しました。田野地区、益子地区、七井地区からそれぞれ1グループが会期中交代で出店し、益子の素材とそれぞれのグループの持ち味を生かしたメニューで、来訪者をもてなしました。

益子町商工会女性部

2012年の第2回土祭では、「土祭食堂」を全日、商工会女性部が中心となって運営しました。その経験と日頃から培ったチームワークの良さで、初日から5日間の営業を抜群の安定感で終了し、たすきを里山の皆さんにつなぎました。
商工会
彩り鮮やかなメインメニューの「五目おこわ」 
商工会メンバー
女性部の皆さん

 

小泉・梅ヶ内里山女性グループ

日頃は、南部ふるさと直売所を運営している皆さん。野菜の販売だけでなく加工品やお弁当なども販売しています。最初は、「お客さんが来てくれるか心配。」とおっしゃっていた皆さんでしたが・・・心配無用でしたね。

里山メニュー
この朱塗りのお膳、昔はよく使ったそうです。青のお皿との組み合わせは、どこか斬新。
「山菜おこわご膳」 

里山しつらえ
麦わらの蛍かごに野の花を添えて

 

七井台町グループ・萩そば

萩原さんご夫妻が中心となったメンバーなので、店名「萩そば」です。益子産のそば粉を使い、男性数名が交代でそばを打ちます。その腕前はかなりのものです。そばが売り切れてしまい残念がるお客様を、車に乗せて別のお店まで案内したというエピソードもお聞きしました。益子の皆さん、あったかいんだから~
萩そば食堂外観

萩そば
メニューの一つ「鴨汁そば」

(事務局 加藤|写真 長田朋子 矢野津々美 他)

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