日本遺産かさましこセミナー|第1回古代編「須恵器から考える食器の原形」レポ

『器から見える人びとのくらし』

11月6日に益子町のつかもと迎賓館で開催されたセミナーに参加しました。
講師は栃木県考古学会の橋本澄朗さん。
橋本さんは栃木県埋蔵文化財センター調査部長、しもつけ風土記の丘副館長を務めら
れていた方で、益子町ご出身。
(詳しいご紹介はこちらをご覧下さい。http://hijisai.jp/program/f-02/
豊富な専門知識から、考古学初心者の私でも分かりやすく、お話しくださいました。
橋本さんの講演から、少しだけ要点を紹介します。

【須恵器とは】

焼き物の種類は土器(縄文土器、弥生土器、土師器、)炻器(須恵器)、陶器、磁器
に分類されます。
縄文土器は装飾されたオブジェのような姿を思い浮かべますが、弥生土器は煮炊きの
利用に実用的な、装飾が模様だけのシンプルなもので、
土師器になると厚さがが薄手になります。

須恵器は古墳時代に朝鮮半島から伝わり、轆轤で作り、登り窯で還元炎焼成した硬質
なものでした。
そのため直接火にかけると割れやすいので、貯蔵用・食器用として使われていまし
た。

 

【食器の分類と持ち方】

食器とは、食事に使う容器や器具の総称で、飲食用の器に限定されます。
食器の使用法は手持ち食器と置食器があり、使用人数によって、銘々器、共用器、属
人器があります。
食器の持ち方は底持法(手のひらで持つ 丸底)、上下持法(器の上下を持つ 平
底)などがあります。

 

【煮炊きから手持ち、銘々器、属人器まで】

現代の私たちの日々の食卓では、湯飲みでお茶を飲んで、大皿に盛られたおかずを小
皿に取り分け、
自分のお茶碗でご飯を手で持ち、箸で食べ、お椀でお味噌汁を直接口をつけて飲みま
す。

当たり前にしている日常のことも、環境や気候、社会情勢、道具の進化によって、変
わります。
当然、昔の人びとの暮らしも変化してきたのでしょうが、今まで、いつから食器が使
われてきたのかと想像したことがありませんでした。

今回の橋本さんのお話を聴いて、昔の人びとの食事の風景を思い浮かべることができ
ました。

煮炊きの土器だったものが食べるための器へと変わり、置いたまま食べるから、手で
持って食べる。
また、手で掬って口に入れるから、箸を使って食べるというように、使い方から形の
変化につながっていきました。

そして、役所の給食の始まりから、お膳に銘々器を置くための置食器、上下持法の平
底の食器の発達につながり、手持食器が個人用の食器とする属人器になり、食器への
愛着から夫婦茶碗へと、日本人の感性による日本的食事法に至っているということで
した。

【倉見沢古代窯跡】

日本遺産に認定された「かさましこ」の焼き物ですが、9世紀には笠間市、益子町で
須恵器が作られていたそうです。
その遺跡が倉見沢古代窯跡であり、益子町で発掘されていて、ましこ世間遺産の一つ
として土祭でも取り上げられました。
( 詳しくはこちらをご覧ください。
http://www.town.mashiko.tochigi.jp/sp/page/page002105.html )

古代から続く窯業、作る器も変わり、使う人びとの暮らしも変わりましたが、焼き物
への愛着は変わらずに受け継がれていると感じました。
古代窯跡を訪ねて、昔の暮らしを想像してみてはいかがでしょうか。

(土祭2021レポーター 横溝夕子)

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