アーカイブ公開|5月22日トークセッション 「万物の生命の源、土をめぐる対話

2021年5月22日
土祭2021関連企画¥アレッシア・ローロ写真展 “The matter” 初日トークセッション 

第2部:アレッシア・ローロ(イタリア)⽯倉 敏明(秋田市)
「万物の生命の根源、土をめぐる対話」
進行:菊田 樹子(European Eyes on Japan アーティスティック・ディレクター)
通訳:デイ麗奈


5月22日には、秋田市から益子町へ、芸術人類学がご専門の石倉敏明先生をお招きする予定でしたが、秋田市内での新型コロナウィルスの感染状況がステージ4となっていたことを受け、リモートでの開催に変更しました。1部は、石倉先生のご講演を秋田から、2部では、European Eyes on Japan アーティスティック・ディレクターの菊田樹子さんに進行をお願いして、益子町の写真展会場・ヒジノワを拠点に、アレッシア・ローロさん(イタリア)と石倉先生(秋田市)田を繋いでの開催となりました。

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◎1部の石倉先生の講演「万物の生命の根源、土」は
土祭Youtubeアカウントで、会期最終日の11月14日まで公開いたします。
https://www.youtube.com/watch?v=m6bbRyhO2LI

◎2部のイタリア・秋田・益子を繋いだ対話の記録を、
写真とテキストで下記に公開いたします。
「土祭」のはじまりのコンセプトである「生命の根源、土」にまつわる、
芸術人類学の研究者とアーティストによる視点の交換の記録を
一人でも多くの方に、映像、テキストともにご覧いただければと思います。
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菊田|アレッシアさんは、益子で陶芸家をはじめとする手仕事に携わる多くの方々と出会う中で、多くの神話で神が塵や泥から万物を創造していることを思い出したそうです。今、ここに展示されているアレッシアさんの作品にも「土」がさまざまな形で登場しています。今日は、アーティストと研究者という立場は異なりますが、「土」という共通のキーワードを持つお二人にお話を伺っていきます。まずは、アレッシアの作品をどのようにご覧になったのか、石倉先生に感想をお聞きしたいと思います。
            
石倉敏明|アレッシアさんの“The matter”という写真作品のシリーズを拝見して、モノとヒトの関係について重要な問いが含まれていると感じました。一つ一つのイメージの背後に、風景と大地の広がりや豊かさ、歴史的な時間の厚みが宿っているようにも思えます。イタリアから日本にいらっしゃる時にあえて先入観を持たずに益子を訪れ、その土地の風景や人々に接しながら撮影を続けられたと聞いていますが、実際に初めて益子を訪れて感じた印象とは、いったいどんなものだったのでしょうか?

アレッシア・ローロ|そうですね。まず、先入観を持たないようにして益子へ行ったのは、頭で考えるのではなく、肌でその場所を感じて、住民の方々と一緒に作品を作り上げることが私にとって大切なことだと考えていましたので。
人と関係を結ぶことは、私の写真の仕事において重要な準備段階です。カメラで写真を撮ることは、人・場所・そこにある『現実』に出会った後にとる最後のステップだと思っています。

益子ではたくさんの人たちに歓迎していただいて、私はとてもラッキーでした。工房を見せてもらい、時間を共に過ごし、私の話を聞いてもらい、仕事しているところを見学させてもらいました。それによって私はその場所を深く理解し、作り手たちの考え方や行動に入り込むことができました。

それと同じように、私は『モノ』も撮影することができました。『モノ』は伝統や作り方を象徴していいて、それは作り手の『化身』でもあります。益子に住んでいる作家たちは、別世界、違う次元の現実を作っているという印象を受けました。そのことは私に、天地万物の創造神話を思い起こさせ、そのメタファーに取り組むことにしました。私は益子に、魔法がかかったような不思議な次元を感じて、その世界を写真に持ち込みました。

石倉敏明|日本に来るに当たって、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』を持ってきて愛読されたようですが、益子に滞在して、何か「陰翳」を実感できるところはありましたか?

アレッシア・ローロ|『陰翳礼讃』は昔読んだことがあって、日本とイタリアの違いを理解することができました。私が谷崎の本が大好きなのは、個人的でノスタルジックでありながらも、日本人の暮らしや、近代化によって失われた伝統について、明確に書いてあるからです。

私にとって、西洋人が日本について書いた本ではなく、日本人によって書かれた本を読むことは重要でした。実際に訪れてみて、益子では時間の流れが違っていました。イタリアは資本主義的なスピードがありますが、益子では常に時間がゆっくりと流れているのを感じていました。そしてまた、益子に滞在することにより『陰影』以上に陰の濃淡を理解することができたと思います。すべてが真っ暗なのではなく、すべてに慎み深さ、思慮深さ、静けさがあるということを理解しました。私が益子に到着したとき、それが私の母国との大きな違いであると気づきました。イタリアではすべてが強い光の下にあり、光沢の具合や魅力、見た目が重視されます。私は『日本の陰』がとても好きで、それも私のプロジェクトに含めようとした特徴の一つです。

石倉敏明|ありがとうございます。益子は良質な粘土に恵まれた伝統的な陶器の産地で、とても歴史のある地域でもありますね。同時に大正時代の民芸運動のように日本中から才能ある陶芸家が集まり、現在のペンタックスの原型となる旭化学工業が重要なカメラの工場を建てた「新しい町」でもあります。日本列島は、縄文時代・弥生時代といった新石器時代から土器や土偶を作り続けてきた「土の文明」を土台にしていますが、縄文と弥生のスタイルの違いのように、異なるセンスを持った集団がデザインや表現の様式を競いながら、いつも「古い伝統」と「新しい文化」を粘土のように混ぜあわせてきました。アレッシアさんの故郷であるイタリアも、土と石を使った豊かな文明が伝えられた土地ですが、古さと新しさを同居させる日本の特徴については、どのように感じられましたか?

アレッシア・ローロ|欧州人である私にとって、日本はとても変わっていて興味深い場所です。一方で、伝統文化や儀式が今でも日本の社会で健在であることを目の当たりにすることができました。人々の行動や振る舞いにも、古き豊かな国の伝統を感じることができました。他方では、日本がテクノロジー、近代化、コンピュータ知能などの分野で指導的立場の国になろうとしていることも。特に東京のような大都市では、日本社会がいかにイノベーションに投資しているかがわかります。日本人が、全く違うライフスタイルを実にバランスよく、美しく同居させていることは、世界から見てとても稀でユニークだと感じました。

 

石倉敏明|火山地帯にあること、地震が多いということも、日本人とイタリア人の悩みの種であると同時に、自然との深い付き合い方を編み出した知恵の条件なのではないでしょうか? ところが、日本は2011年の東日本大震災に伴う福島第一原発の爆発事故があったにもかかわらず、今や原子力発電所を再稼働し、40年という稼働の期限を延長しようとしています。また、日本は有数の精神病院大国で世界の病床の二割が集中していると言われています。ヨーロッパの中でも早くから原子力エネルギーから離脱し、精神病院を廃止して地域で患者をケアしているイタリアは、日本から見るとまるで別世界のようです。市民社会の作り方という意味で、日本はイタリアからたくさんのことを学ばなければいけないと私は考えていますが、アレッシアさんの考えはいかがでしょうか?

アレッシア・ローロ|イタリアは第二次世界大戦後、健全な市民社会を作り上げたと思います。民主主義によりしっかりとした憲法と、すべての人々にある程度の権利が保障される法律制度を構築することが認められました。そして人々は熱心に政治的議論に参加し、国民はすべての人のためにイタリアをより良い国にすることを自分の責任であると感じています。

また家族に関しましては、イタリアでは宗教的教育をベースとした『責任感』があると思います。苦しんでいる人を独りにしたり、忘れたりしては絶対にいけないという強い考えがあります。特に私の出身地であるイタリア南部には、とても強い社会的な団結があります。皆が皆を守ります。私たちはお互いのことを大事にしますし、知らない人も、私たちにとっては兄弟姉妹です。そのようにして違った方法で人々の健康を守り、私たちは精神病院を避けているのだと思います。

石倉敏明|実際にイタリアの地方都市を旅しているとき、人びとの社会的団結の強さや責任感を感じることができました。弱者を放置しないという態度、互いをケアする意識は、国や宗教を超えていく強みだと思います。イタリアは古代都市や中世から続く芸術や建築を保存し、大勢の旅行者が訪れるような文化資源として世界中に開放しています。しかし、それ以上に興味深いのは、社会的団結や責任感を生み出す人びとの意識のあり方、そして記録に残らないローカルな工芸や建築、食べ物を含めた豊かな生活文化ではないかな、と感じました。もしかするとそれは、国や共同体を超えたレベルで、人類の芸術を支えてきた最も根源的な要素かもしれません。

アレッシアさんが今回の展示で発表されている作品も、撮影地である益子側の協力者や被写体との間に深い絆があったことがあらわれています。同時に人間の意識を超えて、人間が生まれ、やがてそこへ還ってゆく「土」という根源、そしてモノの次元へと伸びていく深い関心が示されていることに感銘を受けました。この対話からも、西洋と東洋、人間とモノ、生物と非生物といった二項対立による分断を乗り越えて、ローカルな現実の内側から普遍的な表現を獲得する重要なヒントをいただけたように感じています。ありがとうございました。

菊田|「土」は生命の根源であるだけでなく、記憶や時間、文化を内包するものだということ、そして同じ「土」で繋がる日本とイタリアの類似点や差異についても考えさせられるトークセッションでした。「土」は常に私たちのすぐ近くにありますが、身近すぎて、日常の中であえて深く考えたり、目を向けることはほとんどないように思います。アーティストや研究者はアプローチこそ異なりますが、こうしたものを掘り起こして、目に見える形、または言葉を与えるという本当に重要な仕事をされているのだということも、改めて強く感じました。アレッシアさん、石倉先生、ありがとうございました。

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また、写真展“The matter”も、本日6日に会期を終えて終了いたしました。
会期中は、町内や近隣の市町から多くの方のご来場をいただきました。
会場に設置した、アレッシア・ローロさんへのメッセージカードにも
多くの方に作品への感想やメッセージを書いていただきました。
来日が叶わなかったローロさんへ、イタリア語の訳を添えてお送りします。
ご来場、ありがとうございました。


(編集・報告|トークセッション 企画運営:簑田理香)
(写真|佐藤元紀)

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