「益子の原土を継ぐ」 陶芸家 大塚 一弘さん

益子で採れる原土を用いて陶芸家・染織家・日本画家・左官、24名の作家たちが、
新しい表現に挑戦しています。
益子の原土「北郷谷黄土」「新福寺桜土」「大津沢ボクリ土」の3種類を使用し制作。
作品は、土祭期間中、展示会場のひとつとなる、陶芸メッセ内 旧濱田邸で、展示します。
24名の作家の、作品への想いを紹介します。

1人目は、陶芸家 大塚一弘さん。

道祖土地区の小高い場所に、大塚さんの細工場はあり、細工場から、須田ヶ池が見えました。
池の脇の桜の木が、サワサワとそよぎ、風が細工場を走っていきました。

大塚さんは、1966年益子町で生まれ、益子に育ちました。
東京で陶芸美術を学んだあと、父、大塚清章さんの跡を継ぎ、清窯の二代目となりました。
現在は、益子焼の伝統を受け継ぐ陶芸家として、作陶を続けていらっしゃいます。

細工場へ入ると、蓋ものに、すらすらと筆を走らせ、花を描いていた大塚さん。
筆の動きは、流れるように、なめらかに仕事をしつつ作品について、
また土祭への想いを語ってくださいました。

「今回の作品においては、原土のまま、焼かずに表現する。
3種類の原土は、収縮率が違うので、焼かない表現を選択した。
大きさは、子供くらいの大きさで、立体となるカタチは、別の材料で作って、原土をかぶせていくよ。
3体作って、ある視点から見ると、土という字が見えるようにと、今は考えている。
あと、もう1つの作品は、土を流し込んで、3つの層にしてということも、考えているところだよ。」

細工場の隣には、登り窯。薪がたくさん積んであるのが、細工場から見えました。
時折、微笑みながら話は続きます。

「1回目の土祭では、KINTA(益子在住の造形作家)さんの、土人形を手伝った。
陶の手助けをずっとしていた。外からきたアーティストたちにと、身近に触れ、
益子に対する想いが、本当に、強いなと感じた。
町外のアーティストの姿勢、熱意を見て、地元も頑張ろう!と思ったんだ。
土祭のもともとのメンバー、これからのメンバー、そして町民と一緒に、
協力できるようになることを願う。
土祭は、今回が3回目。2回、やってみて、町民の、共通の話題ができたように思う。
ずっと何かのカタチで、土祭が残っていけばいいと思っている。益子全体が、元気になるような、
土祭があったから、元気になったと、そうなればいいなと思う。」

第1回目の土祭から参加している大塚さんだからこそ、
伝えられる気持ち。そこには、言葉の重みがありました。
最後の言葉が、いつまでも、心に残りました。

「種を蒔いた人は、蒔いた。土台作りを3回、やった。
これから、継続していくことを考えないといけない。
自発的に、益子の人が、動けるようになれば。
種は蒔かれたのだから、我々が、どう育てていくか、
使えるようにしていくのが、とても大事だと思う。」

強い想いが集まり、いつか、花が咲くようにと願います。

(土祭広報チーム  仲野 沙登美)

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